絵の仕事がしたい人が通ってきた道

専門学校で2年間絵の勉強をしたが卒業間近になっても絵の仕事は中々見つからず、僕は焦り始めていた。

 

今思えば、それも当然で絵の就職なんてものは極端に少ないのだ。

 

今でこそ画家をしながら世界を43ヶ国以上旅してきて、ある程度画家として収入を得る方法もわかってきたが、当時は「絵の就職ができない=絵の仕事はできない」と大きな勘違いをしていた。

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絵の仕事なんてものはどこかの会社で絵の職につくより、自分で構築していく方が遥かに絵で生活できる可能性は高いのだ。

 

しかし大前提に個性あふれる絵を描けるようにならなければ、どれだけ絵で頑張っても仕事は入ってこないという事がわかった。

 

誰かが描いたイラストや絵をそのまま上手く似せる事ができた所でなんの個性も独創性も感じないし、誰も必要としない。

 

ましてやお金を出してまで買う人は少ないだろう。

 

 

当時の僕は絵のスキルが少しずつ芽生え始めた時期だったが、それでも絵の職につく事はできなかった。

 

 

いくつか会社の面接を受けたが、面接官に今までやってきた事を全否定されたり僕の絵は使いにくいとまで言う会社もあった。

 

 

今思い返せば、それも当然で僕が描きたい絵を描いてるだけで、その会社のイメージとは合っていなかったのだ。

 

そんな事もわかっていなかった僕は上手くいかない人生に少しずつ不安を感じ始めていった。

 

 

18歳の時に就職した会社で主任のパワハラにあい、ストレスで額はボコボコになったあの時の鬱になる直前の気持ちが少し蘇ってきた感覚があった。

 

 

このままでは、また鬱状態の時の精神状態に戻ってしまうと思った僕は沖縄へ人生計画の練り直しをする目的で一人旅に出る事にした。

 

 

 

人生2度目の挫折だった。

 

 

 

一人で沖縄に行くと時間も普段の忙しい生活も忘れ、本来の自分を取り戻す事ができる事は以前の沖縄一人旅でわかっていた。

 

沖縄のとある島で海の前で夕日を眺めながら考えていた。

 

「就職というのはそんなに大事な事なのか?」

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僕の人生計画の中で「絵の就職をする」というものがあったが、それは18歳の頃に決めた何も知らない、何のスキルも身につけていない時の僕が決めた計画であって、今まで就職する事にとらわれすぎていたのかもしれないと思うようになっていった。

 

 

実際、日本に住んでいると就職しない社会不適合者は最悪というイメージが強い。

 

 

しかし、それは日本人のほとんどの人が就職する事が常識という

社会に洗脳された考えを持っているからだ。

 

 

自分のやりたい仕事は自分で構築していく方が確実に楽しく仕事もできるし、なおかつそれで十分な収入を得る事ができれば何の問題もないはずだ。

 

僕はその事に気付き、まず、これからの人生で自分にとって必要な能力は何かを考えた結果、仕事の取り方というものだった。

 

そして、それから導きだした答えが僕の絵のサイトをつくり、なおかつ生活する為に収入も必要だった為、WEBデザイナーの仕事をする事を決意した。

 

 

大阪に帰ってすぐWEBデザインの仕事をしながらサイトの作り方を学び、なおかつグラフィックデザインの勉強もできる会社を発見した。

 

 

そこで働きながらWEBデザインの勉強をしながら仕事の合間に僕のサイトを仕上げていく事になる。

 

 

4ヶ月経つ頃にはZiNARTというサイトを完成させ、グラフィックデザインの技術も見につける事ができた。

 

 

そしてグラフィックデザインの仕事を自分で構築し、どうすれば収入を得る事ができるのかを勉強しながら絵を描き続ける生活をする事になった。

 

 

これをどう絵の仕事と結びつけていくのかは下の記事に書いていこうと思う。

 

画家になる様々な方法があるが、僕の場合はこの方法で上手く起動にのったので参考程度に見て欲しい。

 

第6話:僕の生きてきた道筋

グラフィックデザイナーから画家になった