怒り爆発!ハンガリーの理不尽な公通機関サービスと不機嫌おばさん。


まだ辺りは暗く、芝生から立ち上る湿った空気がひんやりと僕の方を包み込む。

 

まだ完全には乾いていない洗濯物を仕方なくバックパックの中に押し込み、忘れ物がないよう部屋を見渡す。

 

「よし!いこう!オーストリア!!」

 

ハンガリーの旅を終えた僕は早朝6時に起き、次の国オーストリアへと向かう事にしたのだ。

 

湿った洗濯物のせいか、はたまた旅の思い出が増えたせいなのか、心なしか旅が始まった頃より荷物が重く感じる。

 

 

これまでオーストラリア、ポルトガル、スペイン、イタリア、ベルキー、オランダ、ドイツ、チェコ、スロバキア、ハンガリーと本物の画家になるために旅をしてきたが、訪れる国が増えていくにつれて僕の今後の画家人生の武器となるものが増えていく気がした。

 

 

武器といってもそれは目に見えるものではない。

 

ここでの武器とはまさにこれまでの世界の旅で得た貴重な経験の数々である。

 

この経験値が今後の僕の人生を大きく左右する事を感覚的に悟っていたのだ。

 

 

砂利道の上に伸びる2本の轍は、この田舎町のエベスに1つだけある駅へと続いている。

 

 

それにそって10分程歩くと、誰もいない無人の駅にたどり着いた。

 

「えっと・・・とりあえず大きい駅に行くしかないな」

 

オーストリアに行く方法を何も調べていなかった僕は、とりあえず”オーストリア方面”に向かう。

 

 

その方向にはハンガリーの首都であるブダペストがある事は知っていた。

 

ブダペストに行くにはとりあえず、ここから一番近い大きな町にいけば何とかなるだろうと考えた僕は田舎町のエベスから1駅の所にあるかなり大きな町、デプレツェンへと向かう事にしたのだった。

 

電車に乗り込み、いよいよ無計画な旅の再スタートをきる事になる。

 

静かな車内。

 

ガタンゴトンガタンゴトンと一定のリズムを刻む電車の窓から最後のハンガリーの景色をその目に焼き付けていた。

 

地平線の向こうから太陽の光が差し込むと同時に、視界に入る限りの広大な牧草地帯が少しずつでオレンジ色に照らされていく。

「ハンガリーはのんびりしててよかったな~」

 

そんな事を呟き、コーヒーを飲みながらその新しい1日の始まりをボーッと眺めていると、ものの数分でデプレツェンへと到着した。

 

「さて、ここからどうしようかな?」

 

英語が通じないこの国では意思の疎通が明確にとれないため、地図を見せて目的地を示さなければならない。

 

チケット売り場のおばさんにブダペストを指差しながら「ここのチケットを買いたい」と英語で話しかけたが、おばさんは御構い無しにハンガリー後で何かを言っている。

 

チケットを手渡され、そこにはブダペストと表記されていたので上手く通じた事がわかった。

 

どこのホームで待てばいいのか尋ねると、右手の指を4本立てながら片言の英語で「フォルルル」っと言う。

 

 

4番ホームの事だろう。

 

 

お礼を言って4番ホームのベンチに座って電車が来るのを待っていた。

 

ホームに設置されている時刻表を確認しても英語表記ではないので、何時にどの電車が到着するのか理解できない。

 

 

僕はこれまでヨーロッパの交通機関での移動では様々な理不尽なトラブルに巻き込まれたため、かなり慎重になっており、チケットの隅から隅まで確認して4番ホームで合っているのかを確認していた。

 

 

すると突然僕の後方からグラサンをかけた女の子が英語で話しかけてきた。

 

「今からどこに向かうのですか?」

 

「これからオーストリアへ向かいます!まだオーストリアのどこに行くか決めてないけど。どこに行くんですか?」

 

「ブダペストに行に行きますよ!それからオーストリアのウィーンに向かいます。でもさっきから電車待ってるけど来ないんです・・・それ何時のチケットですか?」

 

「僕もブダペストに向かいます!6時半発だからあと5分で到着しますよ。おばさんにも聞いたら4番ホームからブダペスト行きの電車が来るって言ってましたから大丈夫でしょう!」

 

 

そんなこんなで行き先も同じだった彼女と一緒にオーストリアのウィーンに行く事に決定した。

 

彼女の名前はキアラ。

 

漢字の当て字で名前を書いてあげると喜んでくれた。

キアラはイタリア人でオーストリアのウィーンに彼氏がいるので会いにいくとの事。

 

キアラと話をしながら電車を待っていたが、それから30分経過しても、一向に電車がくる気配がない。

 

 

これまでの経験から今回もまた理不尽な旅のトラブルに巻き込まれる予感がした。

 

 

キアラと一緒にチケット売り場のおばさんの所に行って電車が来ないと伝えると、おばさんは衝撃の一言を口にした。

 

「もう出たよ」

 

「は?4番ホームで待ってたよ?」

 

「3番ホームだったよ」

 

おばさんは自分のミスを悪いと思っていないのか段々と不機嫌な顔になってきているのがわかる。

 

 

キアラは少しハンガリー後が話せるらしく、彼女にバトンタッチしするとおばさんに次の電車の到着時間と何番ホームか尋ねていたようだった。

 

 

キアラは怒った様子もなく、優しい口調で笑いながら僕に話しかけた。

 

「私もさっきあのおばさんから4番ホームって言われて待ってんだけど来なかったね。次は30分後で2番ホームに止まるらしいよ。また30分待たないと仕方ないね。何か飲む?」

 

 

温厚で優しい雰囲気を醸し出すキアラを見ていると、イタリアの友人のカミッラを思い出した。

 

雰囲気がカミッラとかなり似ている。

イタリアの女性は温厚で優しく、そしてどこか頼り甲斐がある女性としか出会った事がない。

 

 

わざわざ駅の売店でコーヒーを買ってきてくれて再び2人で話しながらベンチに腰掛け電車を待つ事にした。

 

 

それから30分後・・・

 

電車が到着した・・・

 

3番ホームに・・・

 

僕とキアラは2番ホームで待っていたので、この電車ではないと話しながらも僕のこれまでのヨーロッパの交通機関の理不尽なトラブルの経験から、おばさんの言う事が絶対に正しいとは限らないと判断した。

 

 

普通なら2回も間違えないと思うだろう。

 

 

もし間違っていても「間違えてた」と伝えたにくるだろう。

 

 

しかし、僕は知っている。

ヨーロッパの交通機関で働く人は、お客さんがどうなろうと知ったっこっちゃないのだ。

 

 

念のため3番ホームに到着した電車の先頭車両付近にいた運転手に、この電車はどこに向かうのか尋ねる事にした。

 

 

「この電車どこに行くんですか?」

 

「ブダベスト!」

 

「2番ホームの電車じゃなくて?」

 

「2番ホーム!電車来ない!」

 

僕はキアラに大声で出発の準備をするように伝え、そのまま電車に乗り込んだ。

 

 

電車の中は六人程度が入れる個室が続き、僕とキアラは先頭車両から一番近い個室部屋に荷物を置いて向かい合って座った。

 

他のお客さんの事を気にする事もないのでかなり快適だ。

 

その個室の窓から受付のおばさんの姿が見える。

 

「あのおばさんまた間違えたね」

 

キアラはおばさんをネタして笑いながら小説に目を通していた。

 

 

僕もイヤホンを耳に装着し、音楽を聴き、右から左に流れる景色を眺めながら次に描く絵の構想を練っていた。

 

 

しばらくすると、係員らしき人がホッチキスのようなスタンプを片手にドアの前に立っていた。

 

僕がイヤホンをとると係員が「キップを出してください」っと片言の英語で話しかけてきた。

 

キアラと僕のキップを手渡し、係員はしばらくそのキップを眺めている。

 

 

キアラはお構いなく小説を読みながら、自分の世界に入っている。

しかし、僕は係員の顔を注意深く観察していた。

 

 

絶対に何か嫌な事が起こるという予感がしたからである。

 

 

次第に係員の眉間にシワが寄っていくのがわかる。

 

「またか・・・」

 

僕は日本語でつぶやきながらため息をついた。

 

 

そして係員は僕たちにこう告げた。

 

 

「このチケットはこの電車のチケットじゃないので、また買ってもらわないとダメですね」

小説を読んでいたキアラが突然話し出した。

 

「そのキップを買って4番ホームで待てって言われたから待ってたのに電車来なかったし、次の電車もまた受付のおばさんに聞いたら2番ホームで待って言われて待ってたら結局この電車が3番ホームにきたの。どうなってるの?違うホームに待たせてお金をとってるの?それは犯罪じゃない?それでダメなら受付のおばさんに今すぐ電話して聞いてみて。今すぐ。嘘つくんだったら引き返して直接話すから。今から目の前で電話で確認してみて。早く。」

 

 

冷静な口調で淡々と抗議するキアラからは、静かな怒りを少しずつ爆発させている様子がうかがえる。

 

一通り抗議したキアラは再び小説に目を通した。

 

お金を払えと言われた事に関しては、まるで動じていないようだった。

 

 

係りの人はその言葉に打ちのめされたのか、チケット売り場のおばさんに電話するのが面倒だったのか、一言「OK」と言い残しその場を去っていった。

 

 

係員が諦め、その場を後にした事を悟ったキアラは笑いながら僕に言った。

 

 

「向こうが間違っている時はちゃんと言わないとね」

 

 

やはりイタリア人女性は頼りになる。

 

僕たちはそのまま何事もなかったかのようにブダベストへと向かうのであった。