ハンガリーの牧場で考えた画家人生計画

いくつも積み重ねられた大きくて丸い藁の塊が太陽の光で黄金に輝いている。

 

地面に生えた雑草をムシャムシャと、無心で食べている牛達を眺めながら僕はその藁の頂上に寝転がり、これまでの旅の思い出を振り返っていた。

オーストラリアへ画家として生活できる方法を探す旅にでて、それから約2年ほど滞在していた。

 

オーストラリアでは意外と簡単に絵を描いて生活できる方法を発見してしまい、旅をしながら貯金が出来るまでに成長していた。

 

 

海外での画家活動には何か依存性のようなものがあるのかもしれない。

 

 

オーストラリアの旅が終わった後に日本に戻ったのだが、毎日が同じ日々の繰り返し。

 

何の刺激もない日々を過ごしている内にその退屈な毎日からまた抜け出したいと思うようになり、帰国から約半年後にはポルトガル行きの航空チケットを購入し、大きな折りたたみ式のキャンパスと絵具道具一式、ロール状のワトソン紙を持って次は世界を回る旅にでる事にしたのだ。

 

これまでヨーロッパではポルトガル、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダ、ドイツ、チェコ、スロバキアと渡り歩いてきた。

 

そして昨日の夕方から15時間かけてスロバキアからハンガリーの田舎町であるエベスという街に到着した。

 

これまでのヨーロッパの旅の移動では何度も何度も理不尽なトラブルに巻き込まれ、ストレスを抱えながらの旅となった。

 

しかし、それでも旅を辞めようとは思えなかった。

 

あの退屈な日本での生活をするくらいならストレス込みの海外での画家活動をする方が100倍マシだと考えていたからである。

 

それにこれまでの旅で画家活動には、人と人との繋がりが最重要な事にも気づけた。

 

旅をしていれば毎日のように新しい人と出会う事ができる。

 

これらの出会いは今後、僕の画家人生において、大きな財産になる事は容易に想像する事もができた。

 

今日の朝、エベスに到着してから直ぐに宿探しを始め、15時間の移動で体が疲れきっていたので一発目に発見した一軒家をシャアする宿に飛び込んだ。

 

これからいつまで旅を続けるのか全く予想出来なかったので、いつもはなるべく安い宿に滞在するのだが、この日だけは宿の値段を確認する事はしなかった。

 

とにかくシャワーを浴びてベッドで横になりたかったのだ。

 

昨日まで公園や駅の前の芝生で野宿をしたり、その際にハリネズミに遭遇したり、無駄に電車チケットを買わされたりとかなりストレスと疲労が溜まっていたので、一瞬で眠りについてしまった。

 

窓から差す夕日の光に瞼を照らされて目覚めた僕は、ようやくそれから数時間眠ってしまっていた事に気がついた。

 

 

起きた瞬間から「何か食わせろ!」っと言っているようなお腹の声が怒涛の勢いで僕に訴えかけてきている。

 

それからすぐ近くのスーパーで食料の買い出しをする事にした。

 

ハンガリーは物価が安いのか、3日分の食料を購入したがそれでもたった2000ft(1000円程度)しかかからず、後で知った事だが宿代も1000円以内で事足りていた。

 

キッチンも完備されているので、ハンガリー初日の晩御飯はトマトスパゲティーを食べる事にした。

 

宿の庭にはテーブルが完備されており、そこでスパゲティーを食べながらビールを飲む事に。

 

するとどこからともなくハスキー犬が現れ、食べ物をおねだりするように僕に甘えてくる。

まだ手をつけていないスパゲティーの味をその犬に毒味させると「もう一回もう一回」っといったような感じで頬を僕の太ももにこすりつけてきた。

 

そんなに美味しいのか・・・

 

僕もお腹が空いていたので、たまらずスパゲティーを口の中に詰め込んだ。

 

・・・

 

なんと表現すればよいのだろうか・・・

 

口の中にトマトの酸味とアメリカのお菓子を溶かし込んだような甘みが広がる。

 

旨味は皆無と言っていいだろう。

 

 

率直に言うと「不味い」である。

 

 

しかし、お腹が空いていたので無理矢理不味いスパゲティーを口の中に押し込み、その味をかき消すようにビールと一緒に胃の中へと運ぶ。

 

そうして一皿たいらげた僕は、ビール片手にエベスの街を探検する事にしたのだ。

 

車の轍が長い長い一本道に真っすぐに伸びており、その道に沿るように誰が所有しているのかもわからない牧場が広がる。


聞こえてくる牛の鳴き声、そして空気中で混ざり合った土と藁の独特の匂いは僕の故郷、九州の宮崎を思い出させる。

 

一眼レフを構えながら牛に近づくと、さっきまで一心不乱に地面に生えている雑草を食べていた牛達は一斉にこちらに視線を向け、そのまま静止画のように微動だにしない。

僕にシャッターチャンスの時間を十分与えた後、再び何事もなかったかのように一斉に首を下げ、地面の雑草を食べる。

 

 

牛を見ているだけでこのエベスの町の、のんびりした生活環境が伺える。

やはり僕は人が行き交う都会の急からしい生活より、このような田舎町ののんびりした空気感の方が合っているようだ。

 

世界に刺激を求めて旅をしにきたので、そこの感覚は矛盾している事はわかっているが、やはり旅が終われば、このようなのんびりした環境で一生絵を描いて生きていかなければならない。

 

もしも、そのような生活が出来なければ昔のように鬱状態に陥る可能性もありえるからだ。

 

 

それに僕は海外に移住する気もない。

 

 

日本が大好きなのだ。

 

 

なのでこれからは画家として日本で生きていける環境作り、そしてのんびりできる場所に住む。

 

できれば海が見える場所が良い。

 

そんな事を考えていると、頭の中で沖縄の綺麗な海の前で絵を描いている自分の姿が映像化されていった。

 

 

この時から僕は沖縄移住計画を組み立て始める事となる。

積み重なった藁の頂上に登り、夕日で赤く染まった牛の群れを何気なく眺めながらビールを飲む。

 

セックスを拒否された雄牛の遠吠えが聞きながらこれからの旅、そして沖縄移住計画を具体的に頭の中で構築させていくと何だかワクワクしてきた。

 

僕はこれまでの人生経験から僕が強く思った事は全てが現実になる事を知っていた。

 

なのでこれからの世界をまわる画家活動も、日本でのんびりした画家生活も全て上手くいくと信じていた。

 

この先の画家人生計画に何の躊躇も不安も抱いてはいなかった。

それが僕の強みとなり、夢を現実にさせた要因になった事は間違いない。

 

 

思いの強さを持ち続ける事ができた人にだけ、神様から夢を現実にできる能力を与えられるものなのである。