超貧乏生活!!夢を追うため一日50円しか使えない日々・・・

沖縄で学費を貯める事を強く決意してから2年が経っていた。

就職先でパワハラをうけたストレスはすっかりなくなっていて、学費も200万ほど貯まっていた。

 

 

しかし、まだまだ学費全額にはほど遠く、その分は働いて貯めながら専門学校に通う事にした。

 

 

入学当時の僕の年齢は22歳。

 

 

まわりは高校を卒業してから通っている18歳か19歳の女の子が多かった。

 

 

僕は、もちろんイラストレーション科で絵の勉強をする事になる。

 

 

入学当初の絵は誰がどう見ても素人以下の実力しかなかった。

 

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しかし本気で人生を絵に捧げる覚悟で修行すれば、約3年でここまで成長する事ができる。

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絵を本気で描き始めて8年経ったが今ではもっと頭の中の世界をリアルに表現する事ができるようになり、それが自信へと繋がっている。

 

 

しかし、あの素人以下の僕の絵が3年後のこの絵になるまでには様々な苦労があった。

 

 

毎日通学に電車で1時間かけて朝の8時に学校に行き、また夕方から1時間かけて帰ってすぐアルバイトで夜中の1時まで働いてから家に帰って晩ご飯とお風呂を済ませ、深夜3時頃から朝方の5時まで学校の課題を終わらせてから2時間だけ寝る。

 

 

そんな生活が2年も続く事となる。

 

 

アルバイトで稼いだお金はほとんど学費に消えるため、一日に使えるお金と言えばたったの50円だった。

 

 

スーパーでもやしを買って、様々な味付けで毎日味を変えて飽きがこないように工夫して食べていた。

 

 

幸い、僕の母方の実家がお米をつくっているのでお米には困らなかった。

 

 

ある日僕の祖父が亡くなってしまった為、アルバイトを5日程休みをもらって宮崎県にある実家に帰る事になってしまった。

 

 

5日分のアルバイト代のマイナスはその次の月の僕の家計に大打撃を与えた。

 

 

学費、家賃、光熱費だけで赤字になってしまったのだ。

 

食べ物がなくて学校の勉強にも集中できない。

 

どうしても空腹感に勝てず友達に助けを求めた。

 

すると大勢の友達が大量の食料を持って助けにきてくれた。

 

空腹で食べたカレーは涙が出る程美味しくて今でも忘れられない。

 

 

その事があってから沢山の友達が毎週土日に食料とお酒を持ってきてくれるようにり、そのおかげで無事に2年専門学校で勉強する事ができた。

 

 

そこまでするなら実家に帰ればよかったのに。

と思う人もいるだろう。

 

 

しかし、それでも実家に住もうとも思わなかった。

 

 

実家を出て4年も経っていたので僕の部屋は弟にとられてしまい居場所がなかった事も理由の一つでもあるし、僕は意外と頑固な所があるので実家に帰って親にうるさく言われるのが我慢できなかったのだ。

 

そんな生活を2年間してようやく絵の職につこうと思った時、次の大きな壁が現れた。

 

 

就職活動だ。

 

 

この就職活動で人生2度目の挫折を味わう事になる

 

第五話:僕の生きてきた道筋

絵の仕事がしたい人が通ってきた道