就職先で挫折して死のうと思った地獄の日々

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大阪芸術大学へ通いたかったが親に反対されたので
自分で学費を稼ぐ為に高校を卒業してすぐ就職する事にした。

 

 

就職先は工場で鉄を切断して溶接をして橋や船の部品を制作する会社に決まった。

 

毎朝7時に起きて夜の6時まで働き、残業がある日は夜の9時まで働いて毎週土日は休みだった。

 

 

これだけ働いても手取りは12万〜14万くらいしかなかったし、ボーナスも雀の涙ほどしかもらえなかった。

 

 

今思えば、あれだけ働かされてこの程度の給料しか稼ぐ事ができないのであればすぐに辞めるべきだったが、僕は社会人になって給料を稼いだのがここが初めてで、まわりの友達は皆大学に進学していた為、このくらいの給料が妥当だと思っていた。

 

しかし、それだけならまだ耐える事ができたがこの会社には僕の天敵がいた。

 

彼は現場の主任を任されていて、何かとつけて僕に理不尽な因縁をつけてきては暴言を吐いた。

 

 

いわゆるパワハラというやつだ。

 

 

主任が持ってきた書類に記載されている設計図を見てから鉄を切り出していくのだが、ある朝、主任がいつものように書類を持ってきたのでそれに従って鉄を切っていた。

 

 

そして昼休みに入り書類を机の引き出しに入れてから昼ご飯を食べていると、僕の元へ主任がやってきて真っ赤な顔で怒鳴り散らしてきた。

 

 

突然の事だったので何を怒っているのか理解するのに時間がかかってしまったが、どうやら鉄の切り方が書類と違うと言って怒っているようだ。

 

 

すぐ現場に戻って机の引き出しに入れていた書類を確認すると、朝主任が持ってきた書類とは違う書類が入っていた。

 

 

その机の引き出しに書類が入っている事を知っているのは僕とその主任だけだったし、他の人がわざわざ机の引き出しを開ける意味もない。

 

 

これは後から聞いた話だが僕が昼休みに入ったあと、主任が机の中を何やらゴソゴソ触っていたのを見た人がいた。

 

 

疑いが確信に変わった。

 

 

主任は自分のミスを僕になすりつけようとしていたのだ。

 

 

最初の内は何を言われても気にせずに流していたのだが、このような事が毎日続く内に朝の朝礼で主任を見るだけで吐き気がする程、精神的に大きなダメージが蓄積されていった。

 

 

ストレスで蚊にさされたようなボコボコした蕁麻疹が僕の額を覆うようにもなっていき、家に帰っても食事が喉を通らなかった。

 

 

その時は実家から通っていたのだが、ストレスのせいか僕は常にイライラしていて親と口論になり、家を飛び出し、賃貸マンションで一人暮らしをする事にした。

 

 

実家にいるのと一人暮らしをするのでは、お金の貯まり方が違う。

僕は主任からのストレスと学費を稼ぐ為に働いているのに全くお金が貯まらない現実に少しづつ少しづつ鬱状態になってしまっていた。

 

 

入社して一年半まではちゃんと会社に行っていたのだが仕事にも身が入らず、その状態で主任から暴言を吐かれる日々。

 

 

いつしか僕は「もう何もうまくいかないから死のう」と言う考えが浮かんでくるようにまでなっていた。

 

 

ちょうどその時に中学校からの友達が一人で家に遊びに来た。

 

 

彼と会う時は中学時代の友達と飲み会やキャンプなど、大人数で遊ぶ事しかなかった。

 

 

彼が一人で僕の家に遊びにくる事は珍しい事で僕も驚いた。

 

 

その夜は二人で朝方までテレビゲームをして遊んでいて、僕も良い気晴らしになったので鬱状態の気持ちも少し落ち着いたように感じていた。

 

 

しかし、それから一週間後。

 

 

彼は帰らぬ人となってしまった。

 

確かな事はわからないが自分から命を断ったようだ。

 

一気に死の恐怖が僕の脳裏に浮かんできた。

 

どうにかして今の状況や精神状態から逃げ出したかった。

 

 

このまま鬱になって死んでしまうより全てを捨てて、どこか知らない場所で一人でいて何も考えない生活にしよう。

 

 

いつの間にかそのような考え方に変わっていった。

 

 

これがきっかけで何かから逃げるように沖縄に一人旅をしに行く事になるのだが、この経験から一人旅の魅力にとりつかれる事となる。

 

 

今思えば、ここが僕の人生の分岐点だったのかもしれない。

 

第三話:僕の生きて来た道筋

会社の主任にパワハラされ沖縄へ逃亡した話