出会いとは人を大きくするもの。
画家になりたいと思った時から漠然と考えていた海外活動。
それを実行に移していると思うと僕は成長したんだなと思える。
そんな旅をしている中で多くの人と出会い、触れあう事で自分にも自信が持てるようになった。
僕はバイロンベイと言う街に滞在している。
オーストラリアの東にある大陸が海へと突き出した地形であり左右は海で囲まれている。
風は心地よく、世界中から来るアーティストの生歌を聞きながら、今日もビーチの前の公園で絵を描いていた。
外国人は絵に興味がある人が多いためか、公園で絵を描いているだけで食事に誘われたり、遊びに行こうと誘ってくれる人が一日で何人も話しかけてきてくれる。
画家活動で大切なのは絵の上達に注ぐ情熱と人との繋がりを増やす事だと僕は思う。
その繋がりこそが画家として有名になる条件の一つなのだ。
現在世界で活動したきた経験から画家として
気になる人は上の記事を読んでおいて欲しい。
今日も3時間公園で絵を描いていると、兄弟で旅行に来ているカナダ人に、夜BARで一緒に飲みにいかないかと誘われた。
夕方になり、満足いくほど絵を描き進める事ができたので宿に戻り、荷物をおいてから彼らとの待ち合わせ場所である海の前にある大きめのBARに向かう事に。
BARの入り口付近でお兄さんが待っていてくれた。
妹はすでにベロベロに酔っぱらっている。
妹の友人もすでに酔っているが、この子はこれで17歳だと言っていた。
外国人の若い子はすでに色気を放っている人が多い。
日本人が世界では若く見られるようだが、世界基準ではこれが普通なのである。
数時間BARで飲んでいたが突然睡魔に襲われた。
BARでは音楽ライブが開催されており、僕は爆音が流れる密集した空間にいると気絶してしまう癖があるのだ。
体が少しずつ重くなっていき、意識も遠のいていくのを感じたので、兄にそろそろ帰るよと言いBARから脱出する事にした。
外に出ると海から吹く風が心地よい。
少し風に当たって目が覚めた僕は宿に戻って再び絵を描く事に。
僕の滞在している宿は世界中からアーティストが集まる宿で、絵描きや音楽、ヨガのインストラクターなどなど・・・
様々なジャンルのスキルを持った人達が集まってくる。
そこは自然と合体したような宿でコテージもあり、奥にはキャンプサイトも設備されている。
キャンプサイトの方から爆音が流れているので行ってみると、ここでも音楽イベントをやっていた。
外国人は本当に踊るのが好きであるが、僕はそのノリにはついていく事はできなかった。
中には池があり、その横にバレーコートや卓球台がおかれている場所がある。
そこはまだ静かだったのでキャンパスを広げて描きかけの絵を広げて再び作業を再開した。
ケアンズのパロネラパークと言う文化遺産を管理しているオーナーに頂いた依頼だったので、早く描きあげなければならなかったのだ。
集中しながら絵を描いていると、通りかかった外国人がほぼ100%の確率で僕に話しかけてくる。
その中でも僕の絵に興味をもったマイケルが皆に見せたいと、僕を爆音のする音楽イベントへとつれていき、そこで皆に紹介してくれる事に。
「こいつスゲー絵描くんだよ!」と自慢げに話すマイケルを見て僕は嬉しくなった。
僕の絵でこれだけ喜んでもらえるとは想像してもいなかった。
外国人は日本人が英語を話せない事をよく知っている。
しかしそんな事は関係なく話しかけてくれるので、英語が勉強したいのなら、やはり海外に出て外国人と直接触れあう方が効率も良いし、外国人の友達もすぐにできる。
当時の僕は、まだまだ英語でのコミュニケーション能力はなかったのだが、マイケルが僕の思いを通訳してくれると言って多くの人へと絵を描いている事をアピールしてくれた。
彼にも英語で話さなければならなかったが、ちゃんと理解しようと聞いてくれていたので、恐らく僕の思いは彼には届いていたようだ。
現在は世界を旅しながら絵を描いた経験から、何の問題もなく自分の意思を伝える事ができるようになったので、マイケルとも連絡を未だに取り合っている。
このような出会いが旅では頻繁に起こるので、僕は画家になりたいのなら海外へ行く事をお勧めしているのだ。
ちなみに海外に行くときに用意しておいた方がいい事がある。
僕はその用意をしていなかったので後になって後悔する事となった。
その事については
と言う記事で語っているので、もしも海外で絵の活動をすると決めているのなら読んでおいて欲しい。
一通り絵も描き終えたので、この日の作業はこれでおしまいにして、2階にあるキッチンで夕食を作っていると日本人のヨシ君が宿に戻ってきた。
今思えば彼らとばかり話をしていたため、英語の上達が滞った原因の一つとなっている。
もしも外国人とだけ接していれば恐らく3ヶ月もあれば普通の会話はできるようになっていただろう。
しかし日本人はどこの国にもいるし、ここバイロンベイは日本人が思っていたより多かったように思う。
ヨシ君と話をしながらキッチンの横のテーブルでビールと一緒にチキントマトハンバーグを食べていた。
今日一日はかなり濃い出会いが沢山あった。
この出会いこそが僕の財産であり、絵の仕事にも大きく影響してくる事をこの時の僕はまだ気付いていなかった。
明日は何をしようか?と言う話になり、バイロンベイから少し離れたニンビンと言う田舎街へ行く事にして、その日は自分の部屋に戻って寝る事にした。
ニンビンでは、驚愕のカルチャーショックを味わう事になるが、それはまた次回のオーストラリア修行の旅の記事でしようと思う。