外国人といる事が苦痛で英語勉強から逃げてしまった日々の始まり

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絵の修行をするため、オーストラリアに滞在し始めたのは12月の真夏だった。

 

日本の12月は真冬で気温も低く寒い日が続く。

 

 

 

僕は寒いのが苦手でこの頃から冬が一生こない生活を送りたいと思っていた。

 

12月のケアンズは日本とは逆に真夏でサンタクロースがプールを泳ぐ姿を見る事ができる。

 

 

 

独りでケアンズに来て数週間が過ぎ、英語もまだまだこの頃は全く話す事はできなかったが、少しずつ外国人の友人もできるようになっていた。

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しかし、日常会話もできない英語力で外国人とずっと一緒にいると日本語を話したくなる時がある。

 

 

 

英語を勉強するには外国人と一緒にいる事が大切なのだが、僕と同じホテルに泊まっている外国人は18歳から20歳前半の若者が多く、外国人の若者は時にうんざりするほどの元気パワーを発揮する事もあった。

 

 

 

 

僕はこの時25歳から26歳になったばかりで

「若い」と「若くなくなってくる」の狭間にいる状況だ。

 

 

そんな僕を連れていつも行っていたのがクラブだった。

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実を言うと僕はクラブが嫌いだ。

 

 

 

嫌いと言うより危険と言った方が正しいかもしれない。

 

 

 

なぜなら昔から爆音が流れるクラブに行くと急激な睡魔に襲われ、人が大勢踊っている中でも床に倒れて気を失ってしまうからだ。

 

 

 

だから、なるべくクラブは避けるように生きてきたがケアンズで英語をマスターしたいという考えもあり、無理をしてクラブへ通っていた。

 

 

 

しかしオーストラリアには数多くの日本人が滞在しており、どこへ行っても日本人がいるため英語をマスターできずに帰ってくる人が多いという事も知っていたが、英語で自分の思っている事を上手く伝える事ができないというストレスから日本人と遊ぶ機会がこの時から少しずつ増えていった。

 

 

 

 

僕がここから英語を話せるようになるまで約8ヶ月の期間がかかる事になるのだが、この時はそんな事を知るわけもなく

 

「ケアンズだけ日本人と過ごそう」

 

とあまい事を考えていた。

 

 

 

 

もしこの時からずっと外国人と過ごしていれば、おそらく3ヶ月で自分の意志を伝える事はできるようになっていただろう。

 

 

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