人の死は考え方に影響を与える

オーストラリアに絵の修行へ出発する1週間前に弟がバイク事故で死んでしまった。

 

 

オーストラリアへ行く準備も万端で、これから先どんな冒険が何が待ち受けているんだろう?

自分はどんな風に成長できるのだろう?

っとワクワクしていた矢先の出来事だった。

 

 

僕も両親もショックで何もする気が起きなかった。

 

 

葬式の準備もあるし両親もかなり落ち込んでいる。

 

 

そんな状況で僕だけオーストラリアに行く事なんて出来るはずもなく、オーストラリアの旅はひとまず延期する事になった。

 

 

葬式も終わり、何も考えないで家のソファーでボーッとするだけの日々が続いた。

 

 

弟が死んで2週間が経った頃、僕がこのまま何もしないで過ごすのは弟のせいにしてしまっているんじゃないか?

と思うようになり、このままだと弟に悪いと感じキャンパスに絵を描き始める事にした。

 

 

やはり絵を描くのは好きで、気がつけば3時間よけいな事を考える事もなく集中して描く事ができた。

 

 

休憩をとるためにベットに横になった。

 

「人間はいつ死ぬかわからない。」

 

「オーストラリアに行かないまま時間が過ぎてしまえば絶対に後悔する。」

 

「これまで画家になるために行動してきたのに動かなければそれも全て無駄になってしまう。」

 

「後悔する人生なんて楽しくないし絶対に歩みたくない。」

 

「僕も弟のように突然死ぬかもしれない。」

 

「僕には頭の中の世界を絵に描き移すという使命がある。」

 

「いつ死ぬかわからないから今やるしかない。」

 

そんな事をベットの上で横になりながら考えていると、オーストラリアに修行の旅へ行く活力がよみがえってくるのを感じた。

 

 

 

しかし問題は僕の両親だ。

 

 

 

もし僕がオーストラリアへ行くと言いだすと両親に大きな負担と心配をかける事になる。

 

弟が死ぬ前は心配はそれほどしなかっただろうが、今の状況を考えると心配で夜も眠れなくなる可能性もある。

 

 

 

しかしオーストラリアの旅が僕の人生にとって大きな武器になる事は出発する前にわかっていた。

 

 

どうしても行きたかった。

 

 

しかし、落ち込んでいる両親にオーストラリアに行くという事を話す事ができないまま2ヶ月が経ったある日、突然母から「オーストラリアに行かないの?」と聞いてきた。

 

僕は即答で行くと答えた。

 

絶対に危険な事はしないと両親に約束してオーストラリアへ修行の旅へ出る決断をする。

 

出発を諦めた日から2ヶ月以上経っていて季節は冬に突入していた。

 

オーストラリアは真夏。

 

キャンパスと絵の具と筆、そして夏服をカバンの中につめてようやく出発する事となった。

 

そしてこのオーストラリアで得た経験は僕の予想通り、画家になるために必要な多くのスキルを身につける旅となった。