外国人の友達との別れの挨拶は日本語でしてしまう理由。

目が覚めてからどれくらいたっただろう。

 

ただただ目の前の何もない空間にぼんやり焦点を合わせながら何を考えるでもなく、僕はベッドの上で横になっていた。

 

向かいの部屋からはバタバタとフィリックスが仕事に出かける支度をする慌ただしい物音が聞こえてくる。

 

 

昨日は朝から晩まで1日中フィリックスと飲み歩き、自宅に帰ってからも夜中の3時まで飲んでいたが、フィリックスはそれでもちゃんと朝起きて仕事に出かけようとしている事に関心してしまう。

 

 

僕は高校を卒業した後、画家を目指すためにまず美大か芸大の入学費を稼ごうと思い大阪の工場地帯で就職して働いていた時期があったのだが、朝起きて「今日は行きたくない」っと思えば間違いなく休んでいた、ただの社会不適合者だった。

 

そのため、会社に出勤して働くという当たり前の事ができない僕からするとフィリックスは本当に凄いなと関心してしまうのだった。

 

 

このわがままな性格が功を奏したたためか「絶対に画家になる!」っという強い意思が生まれ、現在は画家として生活できるようになったので良かったが、もしも画家になれなければ恐らく僕は死んでいただろう。

 

 

いつのまにかそんな事を頭の中で考えているとフィリックスが僕を起こしに部屋にやってきた。

 

「ZiN!俺仕事行くけど今日ドイツを旅立つんだろ?これでお別れだな!」

 

さすがドイツ人。

 

昨日の酒は一切残っていないですよっと言わんばかりの爽やかな笑顔で僕に話しかけてきた。

 

「もう出るの?」

 

「もう出るけどZiNは出発の時間までのんびりしてていいよ!鍵はポストに入れといてくれればいいから!」

 

「フィリックス2週間も本当にありがとう!見送るよ!」

 

「本当に楽しかった!ドイツきたらまた連絡してよ!日本に行く時があれば連絡するからまた飲みに行こうぜ!」

 

 

 

彼とはオーストラリアの旅で出会った時からトータルすると4ヶ月程度しか一緒にいなかったが、間違いなく一生の付き合いになるという感覚がある。

 

これでフィリックスとはお別れになり、次会うのは数年後か数十年後か、いつになるかわからないが、それでもこの思い出は一生忘れる事なく、今後も一生の友達として人生を歩んでいく事になるだろう。

 

別れの時・・・

友達との別れの時、僕はいつも日本語で話しかける。

急に日本語で話すと何言ってんだ?っとなる人とそのノリについてくる人がいて、これだけでその人の性格やノリの良さが伺える面白い実験だ。

 

個人的に気になるのでこの別れは毎回やってしまう。

 

 

 

 

フィリックスと別れた後、家の中に入ると妙に寂しさが込み上げてきた。

 

この2週間本当に楽しく過ごせたのもフィリックスの完璧なおもてなしがあったおかげだったので、感謝の気持ちを綴った手紙をベッドの上におき、荷物をまとめて家を出る事にした。

 

 

次はボスニアヘルツゴビナへと向かう。

 

 

どんな場所かも調べていないし、旅の予定は何も立てていない。

 

 

直感でおもむくままに旅をして、まだ見ぬ新しい土地や出会いに心を躍らせる。

 

それが僕の旅のスタイルなのだ。

 

 

 

《前回の旅の記事》

外国人が必ず驚く日本人の不思議な話

 

 

 

 

PS.

ちなみに最後の最後はちゃんと英語で「また会おうね!」っという話をして別れるので日本語で別れの挨拶をしたままバイバイというわけではない。