アーティストは裕福より貧乏の方が幸せなのかもしれない

僕はもともと超がつくほどの貧乏学生で1日50円しか使えなかった時期があった。

 

それ以降もずっと画家という職業に憧れ(日本では画家が職業と認められていない風潮があるが)貧乏生活をしながら海外に飛び出して絵を描く活動していた。

海外の旅中にお金がほぼ底をつきそうになった時はかなり焦っていたが、追い詰められた僕は海外でも絵を描いて稼ぐ方法を必死になって探し求め

当時はほとんどいなかったライブペイントで路上パフォーマンスで生計を立てる事にしたのだ。

やっとの事で絵を描いてお金を稼ぐ事が出来た初めての瞬間、僕は「生きている」っという実感を得る事ができ、心が満たされて行くのを感じた。

 

達成感というやつだ。

 

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それから数年後、この情報をブログで公開すると僕の活動を知った生徒さん達がオーストラリアに絵で稼ぎに行くまでになり、その生徒さん達もさらにブログやSNSでその情報を拡散するようになり今やオーストラリアで絵を描いて生きる人が数年で爆発的に増えていった。

 

 

 

最悪な状況から脱出するあの瞬間は本当に最高の気分を味わえる事ができたし、どこか貧乏学生の時に自分の絵のスタイルを発見した時に似ている。

 

 

そしてそれから数年後には絵で生きていいくための仕組みを組み立ててしまい、今は絵を描いているだけで収入が発生するまでになった。

 

今現在画家を目指している人からすればこの生活が羨ましいと思うかもしれない。

 

 

 

しかし、最近思う事がある。

 

 

 

お金を稼げるようになった今よりも昔のように必死に画家になろうと努力していた時の方がはるかに「生きている心地」を味わえる事ができていた。

 

明日どうなるのかもわからないギリギリの生活を送る事で生きている実感を得る事が出来ていたのだ。

 

これは恐らく人によるのだろうが、お金があるからと言って幸せとは限らないという事を今強く感じている。

 

 

 

特に画家、アーティストにとってはお金なんかよりも情熱の方が大切であり

生きている心地を味わう方が幸せなのだと思う。

 

 

現在は結婚していて嫁も子供もいるので昔のような無茶な生活に付き合わせる事は出来ない。

 

 

しかし、このままだと生きた心地がしない。

 

 

本物の画家やアーティストといった表現者は常に大きな目標を持ち続け、それに向かって走り続けなければ死んでしまうのではないかと思う。

 

 

もしも僕が家族を持っていなければキャンパスと絵具道具を持って世界の旅をして強盗に襲われたり、気温が高い日陰のない荒野に置き去りにされたりして、そこから脱出したあの生きている感覚を再び味わいに行っていただろう。

 

 

 

 

今は次の目の前の目標である南国ギャラリーを成功させる事、ZiNARTホテルを建てる事に全力を費やそうと思う。

 

 

 

この2つも昔なら大きな目標であったが、今や通過点の小さな目標にしか見えない。

 

今の僕にとっての大きな目標は昔のように海外へむちゃくちゃな旅に出て生きている心地を味わう事になってしまった。

 

 

 

子供が大きくなるまで叶いそうもないので今はたまに旅に出て日本に帰ってきて沖縄で絵を描く生活を繰り返す事になるだろう。