どれだけ頑張っても絵が下手で上達が見えない。
こんな絵じゃ仕事もとれるわけない。
そんな悩みを持っている絵描きの仕事に就きたい人は大勢いるのではないだろうか?
実は僕もかなり絵が下手だった。
僕が22歳の時に描いた絵で仕事をとるなんて夢のまた夢であった。
このレベルの絵なんて誰も買わないのは明らか。
僕はデザイナー専門学校のイラストレーション学科に入学したのだが、まわりは普段から絵を描いているような連中ばかりであったため、最初から出遅れた感じは否めななかった。
実際その時のクラスは約30人程度生徒がいたが、その中でも下から数えて1位2位を争うほど下手だったと自分では思っている。
そんな僕が今では日本で絵を描く仕事を構築し、海外を旅しながら絵を描いて収入を得るまでに成長する事ができた。
さらに、最近では僕の生き方に共感した仲間が増えてきて、
海外のライブペイントを成功させたり、日本にいながら絵を描く生活を手にいれる事に成功した仲間が増えてきた。
これからも本気の人にだけ、
事細かにその方法をお伝えしていこうと思う。
そして今日は絵の下手だった僕が絵の仕事をしながら旅ができるまでになった経緯を公開しよう。
目次
- 往生儀の悪さは世界1かもしれない
- 下手な絵から普通の絵にスキルアップ
- 絵が描けないピンチ・・・
- 急激に絵が上達した日
- 絵を描く仕事を探しに海外へ
- 日本でも画家として生きる方法を発見する
- 日本で画家になる方法を伝えていく活動
- 成功した僕の生徒さん達とその後・・・
往生儀の悪さは世界1かもしれない
専門学校入学から3ヶ月後、少しずつ絵を描く事に慣れてはきたものの、まだまだ素人感がただよう絵を脱出できないでいた。
しかし僕はなぜか自信だけはあった。
昔から諦めない往生儀の悪さだけはこのクラスでも1位2位を争う程・・・
この学校全体からみても、日本全体で見ても、往生儀の悪さはプロレベルまで達していたのかもしれない。
そんな性格からか「絶対に大丈夫!上手くなる!」と自分を信じきっていたようだ。
しかし急激に絵が上手くなるはずもなく、僕は試行錯誤を繰り返しながら、絵の描き方について自分なりに研究を続けていた。
下手な絵から普通の絵にスキルアップ
そんな時に始まったデッサンの授業。
今思えば、このデッサンを何枚も描いたおかげで素人以下のスキルから普通のスキルまで上達できたのだと確信している。
デッサンを侮ってはいけない。
デッサンをする事によって影の付け方、光の加減、物の質感の表現、全体のバランスのスキルを手に入れるのにうってつけの練習方法なのだ。
これが最初の一番最初のデッサンの授業で描いた作品。
下手すぎて同じクラスの人にもあまり見せた事がない。
しかし、一応思い出として今も僕のイラストファイルに保存している。
それから学校でも家でも何度も何度も下手なりに描いている内にこのレベルまで到達する事ができた。
当時の僕からするとかなり上達した感触はあった。
しかし、まだまだ絵で生きていけるレベルではない事は自分でも重々承知していたが、あの下手くそとしか言いようがない僕の絵のスキルから普通のレベルにまでなった時点で、僕は画家として食べていける確信があった。
絵が描けないピンチ・・・コッペパン事件発生
そんな日々を過ごしていたある日、僕は友人と高校の先輩が経営しているダーツバーでお酒を飲みながら話をしていた。
僕も若かったのかどちらの拳が固いか対決する事になり拳と拳をぶつけ合って遊んでいた。
日頃から絵を描く日々が続いていたので自分の気付かない内にストレスが溜まっていたようだ。
久しぶりに友人と遊んでストレスも発散できたのでかなり楽しかった。
そのまま友人とも別れ、一人暮らしのアパートに帰ってすぐに寝る事に。
翌朝・・・
下向きで寝ていた僕の右側にコッペパンのような物体がおいてあった・・・
ん?と思い、寝ぼけながらそのコッペパンをよく見ると・・・
それは僕の右手だった。
僕は叫んだ。
「なんじゃこりゃー!」
パンパンに膨れ上がった右手は皮膚を引っぱり、曲げる事もできないので筆を持つ事もできない。
当時の僕は1日50円しか使えない貧乏学生生活。
学費と一人暮らしをするためのお金を稼ぐためにパチンコ屋でバイトをしていたのだが、その日も夕方からバイトに行かなければならなかった。
ここで休んでしまえば来月は50円すら使う事もできない。
右手は隠したままバイトへ向かう事にした。
すぐに右手の異変に気付かれてしまったが、
「僕たまに手が膨れ上がる日があるんです!」
と嘘をつき、そのまま最後まで仕事をして家に帰って氷で冷やしたが感覚がない。
学校も絶対にさぼらないと決めていたのでコッペパンを持ったまま次の日も学校へ向かった。
しかし、僕は右手で描けないなら左手で描く練習をしようと、その日のデッサンの授業は左手で描く事にした。
すると不思議な事に左手でも右手と同じように描けるようになっていた。
恐らくこれは全体のバランスの取り方と影の付け方、光の加減の付け方を頭で理解していたため、後はゆっくりその方法に従って描いていけばいいと言う事を理解していたからだと思われる。
急激に絵が上達した日
現在はデジタルの絵が人気であるが、そんな中僕はアクリル絵具で描く事を決めていた。
絵具で描く絵にはデジタルでは出せない素朴さや絵の温もりを表現できると知っていたからである。
しかし当時は絵具なんて使った事もなくどう描いていいのかわからなかった。
デッサンの授業では鉛筆を使用していたが絵具となると全く違う描き方になるので悪戦苦闘の日々が続いていた。
ちなみにこれが絵具で描いた当初の作品。
影の付け方や光の付け方など頭では理解できているが描き方が分からなかったのでこれもまた1から追求して描くしかなかった。
この時から画材屋さんに頻繁に通うようになり様々な筆や道具を使う事にした。
アクリル絵具とボールペンを使用したり使い方のわからない筆を何度も変えてみたり・・・
気がつけば入学当初の時よりは、絵の描き方も少しだけ変わってきており、スキルも多少は上がっていたが、まだ納得いく作品を描き上げる事ができなかった。
そんな日々が続いていたある日・・・
数ある中の一つの筆と描き方が偶然重なったのか奇跡のタッチを生み出す日が訪れた。
ここまでくるのに1年以上かかったがようやく自分のタッチの描き方を発見する事ができた。
後はこの描き方を完全にマスターするまで手法は変えずに、このまま描き続ける事を決意した。
韓国の観光地の写真を見ながらその手法で描いたのがこの作品だ。
明らかに入学当時とは大違いのできに興奮した。
専門学校卒業後は浮き沈みの激しい日々が続いていたが、何とか画家になる夢を追いかけ続ける事ができていた。
そしてこの時点で僕は将来画家になるために修行をしにいくと決意したのだった。
絵を描く仕事を探しに海外へ
それから数年後、僕はオーストラリアにいた。
絵の修行と海外で絵の仕事をする方法を探すために。
最初は何をしていいのかわからず悪戦苦闘であったが、途中で立ち寄った街バイロンベイでは多くの出会いがあり、そこで絵を描いて収入を得る方法や、絵の他にも英語や外国人とのコミュニケーションなどを学ぶ事となる。
思っていた以上に簡単に海外で絵を描いて収入を得る方法を発見してしまった僕は次は世界へ飛び出す決意をした。
それから世界各国を絵具道具一式と共に旅をしながらライブペイントや絵の依頼を頂いて生活する事になる。
この世界画家旅人ではその海外での活動記録をゆっくり時間をかけて事細かに説明しているのでもしも海外で画家活動がしたいと言うのなら参考がてらにでも読んでおいて欲しい。
日本でも画家として生きる方法を発見する
海外で絵を描いてお金を稼ぐ方法はすでに発見してしまった。
しかし日本にいながらも画家として活動する方法はまだこの時点では発見する事ができずにいた。
なぜなら僕は基本的にライブペイントで収入を得たりそこで声を描けられた人からの絵の依頼でお金を稼いでいたからだ。
日本ではライブペイントをするのには許可も必要でお金もかかる場合がある。
音楽のイベントやクラブのイベントなどの参加も頼まれた事はあるがそこでは短時間で絵を描くスタイルばかりだったので僕のスタイルではないと悟り断る事を続けていた。
僕の描く絵は短時間では描けないのだ。
僕は、僕のスタイルを使いながらも収入を得る方法を探す事にした。
しかし中々その方法が見つからない。
しかし、日本で画家になるのはかなり難しい事だと言われているが、僕は何か他に道があるような気がしてならなかった。
なので諦めずにその道を探索し続けた結果・・・
僕はついに日本でも画家になれる全うな方法を発見した。
画家と言うより絵を描ける人が仕事をとれる方法を・・・
この方法を使っている画家は日本では僕だけなのかもしれない。
他では見た事がない。
様々な手法を使った絵描きがこの日本に存在するがどんな手法でも絵を描けるのなら仕事を構築できる。
ただし、これには継続して学ぶという事が必要になってくる。
英語の勉強でもでもそうだが、勉強していれば必ず話せるようになる。
しかし、その努力ができず、学ぶ事のモチベーションを維持できないなら話せるようにはならない。
僕の道はこれと同じなのである。
簡単に画家になれる方法なんてものはこの世にはないが、継続して学べる根性がある人だけが最終的なゴールまで到達できるのだ。
日本で画家になる方法を伝えていく活動
専門学校時代の友人も絵を描く事を諦めてしまった人も多い。
まだ絵を描き続けているが、それから何年たっても目がでない友人も多数存在する。
っと言うより、まだ絵の仕事を他人に頼っているため、自分で仕事を構築するといった発想自体がないようだ。
僕は今、絵の商品の販売や絵画教室などで生徒さんの実力を上げて、これから共に活動できる仲間を育てる活動などをしている。
すでに絵を描いて生活できるようになった生徒さんも誕生した。
彼らは本当に僕の教える事を忠実に守って実行に移す事によって今の状況を生み出せるようになったのだ。
生徒さんが成功した時はかなり嬉しかったし、僕の伝える情報は間違っていなかったと再確認する事ができた瞬間でもあった。
世界画家旅人では海外で活動する方法をお伝えしているが、日本での活動方法はこの生徒さん達のように努力できる人にだけお伝えしていこうと思う。
この世界画家旅人のサイトでその方法を書いてしまうとブログ記事なんてものはバラバラに読むものなので正しい順番で伝える事は不可能に近い。
これは正しい順番で伝えていかなければ理解する事もできず、実行しても知識がないので確実に失敗するだけである。
そんな理由から日本での活動方法を事細かに
学べるアートマガジンで語る事にしたのだ。
登録は無料なので画家になりたい人は一度僕の体験談からなる貴重な情報を受け取って欲しい。
ブロックも1秒で出来るので心配ない。
ただし、「楽して画家になりたい!」っと考えている人は絶対に登録しないように。
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相談や質問もし放題!!
何度も言うが、
楽して画家になれる方法なんてものはこの世にはない。
成功した生徒さんは最初の時点から簡単とは思っていなかったし、継続した努力ができたのでゴールに到達できたのだから。
僕は毎日、本気で絵を描いて生きていきたいと心から思っている人の相談に真剣にのっている。
そんな中、そのように楽に画家になれると思い込む人の相談にまで乗っていては僕の貴重な時間が浪費されるのでかなり迷惑であるし、そのような人はゴールに到達する事もできない。
厳しいようだが、継続して学び、自分の頭でも考え、それを実行に移す事ができる人にしかお伝えしたくないと考えている。
その逆に本気で絵を描く生活を手に入れたいと考えてくれている人は是非僕の情報を活用して欲しいと思う。
成功した生徒さん達とその後・・・
先ほどもお伝えしたとおり、すでに画家として成功した生徒さんも増えてきた。
世界画家旅人を立ち上げた当初は本当に苦労の連続で、詐欺師か何かと勘違いされたり、
「海外に逃げたのですね!」
っという嫉妬心からくる罵声を浴びせられた事もあったが、僕が教える生徒さんの活動がうまくいく事に連れて、そう言った声も少なくなっていった。
それどころか
「画家になる事が出来ました!」
「絵を描いて生活できるようになりました!」
「直接会ってお礼を言いたいので是非会いましょう!」
っという人が日増しに増えていき、僕の活動は間違っていなかったのだなと思う。
僕の生徒さんでかなり優秀な岡部君は今や僕を超えるほどまでに成長してしまった。
彼は、もともと物凄い画力を持っていたので最初から「この子は成功するんだろうな〜っ」と感じていたし、何より素直で真面目。
人の意見の良い所はバンバン取り入れ、さらに自分の頭でも考えてテストを繰り返しながら僕の授業内容を進める事が出来たので成功したのだろう。
ちなみにこの隣に写っている黒沼君も最近ネット上で検索される事が多くなってきた。
こうしてどんどん僕のライバルを増やしていく事で僕自身もやらなければならない状況に追い込む事で画家活動への活力となっている。
ちなみに岡部君と黒沼君は大阪に個展をしにきた時に初めて会い、そのまま夜飲みに行って今後の画家活動について熱く語っていた。
東京に行く時は必ず会う飲み仲間の一人になった。笑
続いて一番良く飲みに行くのが大阪で起業の相談にのっているODA君。
彼は超変態的な人物である。
っというのも妥協をしない、サボらない、教えた事はすぐ行動、自分でも面白いアイデアを次々と生み出す才能があるからだ。
この写真は一番最初に出会った時だが、当時は失敗しまくっている箇所が目立ったので、飲みながら一つ一つ解説していくと、翌日からそれら全てを改善していき、彼もやはり自分の頭で考えて行動できるので、僕にはないコンテンツを生み出すようになった。
さらに僕がオーストラリアの画家旅の話をするとすぐさま、オーストラリアへ嫁さんと一緒に画家旅に出ていき、ライブペイントでお金を稼ぐまでになった。
さらにヴィパサナー瞑想をタイで10日間した話をするとすぐさま彼は京都へヴィパサナー瞑想をしにいった。
教えたらすぐに取り入れるこの行動力は本当に素晴らしいものがある。
彼も生徒さんから僕の飲み仲間になった一人だ。
続いて恐竜画家のキャンちゃん、成田くん、青ちゃん。
キャンちゃんは、すでに難波でのアトリエカフェで大成功していて、これからは恐竜画家として画家としての活動を強化していくようだ。
座間味でキャンプペイントをした時も遊びに来てくれた。
夜通しキャンプファイアーをしながらビーチでこれまでの人生について語ってくれたが、本当に物凄い努力家である。
成田くんは、これからオーストラリアで画家旅の修行に出るが、彼ほどのポテンシャルなら確実に稼いで帰ってくるだろう。
青さんは毎日一枚瞳の作品を描いており、速読の講座も開いていているアーティスト。
これからが楽しみだ。
っとまぁ語り出せばキリがないほど紹介できる生徒さん達やこれから頑張って画家を目指す人で僕の周りは溢れて来ている。
他の生徒さんは学べるアートマガジンの中でゆっくり紹介していく事にしていく事にするので興味があれば彼らのこれからの活動を見ていてほしい。
僕はすでに成功した生徒さんも出て来たのでこれからは自分自身の活動に力を入れるため、誰もした事のない新しい活動方法に力を入れていこうと思う。
考えればアイデアなんてものは山のように出てくるが、それを想像しただけで出来ないと決めつけてしまう人がほとんど。
画家になるにはまず、
「出来ない」という固定概念をぶっ壊す所から始まるものであり
成功した生徒さん達は間違いなく「出来ない」と考えずに
何をしたらそこまで到達できるのか?
っという所から考え始めるようだ。
世界を旅する画家のまとめ
日本では生涯絵を描く仕事をしたいと言う人が大勢いる。
そして画家になれなかった人や絵を描く仕事に付けなかった人が夢を持った人達を否定し、夢へ向かう気力を奪っていく現実を目の当たりにした。
僕は夢を潰す人間は好きではない。
人の夢をバカにする人はバカにすればいい。
しかし夢を奪う事は許されない行為だと考えている。
画家になる、絵を描く仕事につく。
これは決して不可能ではない事を僕が証明してみせよう。
僕は、この日本に絵を描く人が増える事を本気で願っている。