カッパドキアのギョレメについてすぐに宿を確保した僕は悩んでいた。
カッパドキアには数多くの観光地があり、どこからまわるべきなのかわからなかったのだ。
世界を旅していると様々な場所で自分の絵に役立つ場所が存在するが、このギョレメと言う場所は観光地が無数に存在する。
ちなみにこれがカッパドキアからもらった情報を元に描かれた僕の作品の一部だ。
この絵の事は最後に記載するので見て欲しい。
同じ宿に泊まっていたキャロルと言う女性が、近くに歴史的にも古いギョレメ野外博物館が歩いてすぐの所にあると言うので一緒に向かう事にした。
日本人観光客はこの時期(9月)はあまり滞在しておらず、宿にも外国人しか泊まっていなかった。
僕にとっては好都合であった。
なぜなら日本人と旅をするより、外国人と旅をする方が自分の知らない情報をたくさん持っており、刺激にもなるし良い経験にもなるからだ。
さっそくキャロルとギョレメ野外博物館へ向かう。
博物館へ向かう途中の景色も見所がある
博物館にいく途中の景色はやはり地球ではないような景色が広がっており、そこら中に馬が飼育されている。
このような異様な景色は日本では見る事ができないため、画家として貴重なインスピレーションを受ける事ができる。
まさに旅は画家にとって貴重な財産を構築していく一つの手段でもあるのだ。
どこを見ても中をくりぬいたような岩山を見る事ができ、僕の頭の中の世界をよりクリアにする事ができ、絵を描く時にもかなりの手助けとなる。
博物館見学は音声レンタルをお勧めする
石畳の坂道を数分歩くとようやく見えてきたギョレメ野外博物館。
博物館の入り口で音声案内をレンタルしたいと言うので僕もその考えに同意した。
説明なしと説明を聞きながら中を見るのとでは感じ方や臨場感も変わってくる。
ここで何が行われたのか?どうしてこんな場所が作られたのか?
などを知りながら見学すると自分の中に新しい知識が蓄積され、一つ成長したかのような感覚も味わえるからだ。
インディージョーンズの世界観
さっそく中を見学する。
岩をくりぬいただけの通路はかなりせまくしゃがまないと奥に入る事ができない。
まるで冒険しているようだ。
インディージョーンズを思わせるような世界観であり、僕は胸を弾ませながら中に入るのだった。
逃げて来たキリスト信者達
岩山の穴の中には数多くのフレスコ画が描かれていた。
ここはリンゴ教会と言われている場所で、
なぜこんな所にキリストのフレスコ画が描かれているのだろう?
実はその昔、多くのキリスト教徒が迫害を受け、この地に逃げ隠れるように岩山に穴を掘り、多くのキリスト信者がここでお祈りをしていた。
カッパドキア様式と言われておりかなり貴重な物となってる。
穴をくりぬいたドーム型のアーチを手作業で掘り、これだけ滑らかに形を作れるとは凄い技術だ。
キリスト教の顔がけされているのも、キリスト教をよく思わない人物に消されてしまったのかもしれない。
しかし、一方で壁画は年月が経つにつれて削られていくように消えていくようであり、これはマナーの悪い観光客が直接触って削れ消えている事も原因の一つでもあると言う。
これは本物の人骨である。
死体と生活する昔の人
中には人間を埋葬するためのいくつもの穴が掘られており、まさに異様な光景とはこの事であろう。
人間の死体がすぐ近くにある場所で生活していたのだと思うと、現代では考えられない思考を昔の人は持っていたのだと感じた。
蛇の教会にあるダイニングテーブル
ここは蛇の教会と言われており、このまわりには蛇のフレスコ画が描かれている。
これは現在で言うダイニングテーブルのようなもので、ここで毎晩キリスト信者が集まり神に祈りを捧げながら食事をとっていたようだ。
岩山の強度の秘密
このギョレメ博物館は2階構造になっており
岩を掘っただけなのに崩れたりはしないのか?と思っていたがその心配はないようだ。
この岩山は雨が降り水分を吸収する事でその硬度が上がっていくのだと言う。
現在のような技術がないこの時代にこれだけの岩穴を掘るのには、かなりの人でと時間がかかったのだろうか?
想像するだけでも気が遠くなるような作業の繰り返しが、この素晴らしい岩山教会をつくりあげたのであろう。
絵を描く時に役に立つ想像力を手に入れた、このように岩山をくりぬいてできた教会は世界中にもあるようだが、このカッパドキアにはその数が比べ物にならない程無数に存在する。
ちなみに僕のこの作品の建物は、カッパドキアの岩山と僕の頭の中の世界が合致した事から生まれた作品である。
やはり旅をする事によって僕の中に知識が蓄積されていく事で僕の絵にも影響がでてくるようだ。
ちなみに僕は普段僕の頭の中にある世界を描いているが、世界の景色を見る事によって、その場所と頭の中の世界がリンクする事で新しい世界が生まれる。
それを描いているだけなのだ。
なので僕にスランプと言う言葉は存在しないのである。
さて、明日はどこへ行こうか・・・
そんなこ事を思いながら異様な景色を横目に宿にもどるのであった。