レオナルドダヴィンチは人類史上まれに見る天才だった。

レオナルド・ダ・ヴィンチをご存知の人は多いだろうが、彼が画家以外にも天才的な発明家だった事を知っている人は少ない。

 

建築家、彫刻家、音楽家、解剖学、発明家、

これ以外に数多くの才能を発揮し、その中でも天才的と言われていたのが画家としての才能。

 

人類が誕生しきてたこれまでの歴史の中でも一番の天才だったのではないかと考えている。

 

 

僕が画家をしながら世界を旅してきた中で、イタリアのミラノに滞在した時、運良くレオナルド・ダ・ヴィンチの展示会が開催されていた。

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この展示会に行くまで僕は彼を画家として成功したと思っていたが、実は他にも数多くの才能で成功している事を知る。

 

 

 

そしてこれは絵画の展示ではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチの発明したものが展示されている期間限定の展示会だった。

 

 

中は撮影禁止だったので写真はないのだが・・・

 

 

 

 

約15分で見れるような小さな展示会であったが、その中ではレオナルド・ダ・ヴィンチが発明した飛行機のモデルになった作品が展示されていた。

 

 

イタリアのミラノではたまにこの展示会が開催されているので是非足を運んでみて欲しい。

 

 

 

写真がないのでどのようなものか、詳しく説明できないので、今回はレオナルド・ダ・ヴィンチの人生について書いていこうと思う。

 

生涯で描いた絵はたったの15作品!?

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あなたがもし一枚の絵を描いて納得いかない時どうするだろうか?

 

とりあえず完成させてまた違うジャンルの絵を描くのではないだろうか?

 

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチは気にいらなければ、その作品を破棄して何度も何度も同じ絵を完璧な形に仕上がるまで描いたと言う。

 

その事が原因で現在残っている彼の絵画は15作品程しかこの世にない。

 

 

しかし、たった15作品しかないのにも関わらず、これほど画家として有名になったのもその一つ一つの絵画の技術が素晴らしくもあり

完璧に描き上げる彼の絵画は精密な完成度だったためだと思われる。

 

画家として開花したのは14歳の時

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レオナルド・ダ・ヴィンチが画家としての才能を発揮したのはわずか14歳の時である。

 

ヴォロッキオと言う人物の元に弟子入りをした彼は、ある時「キリストの洗礼」と言う作品をヴォロッキオと一緒に描き上げたのだが、当時まだヴォロッキオの弟子だったはずのダ・ヴィンチが描いた部分があまりにも繊細で、師匠であるヴォロッキオを上回る出来に仕上げてしまったため、師匠のヴォロッキオは二度と金輪際の絵画は描かない!と言わせたほど彼の才能はずば抜けていたようだ。

 

 

彼の才能は努力でつくられた

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天才と言っても努力をしない天才はいない。

 

彼もまたその内の一人であり、絵の描き方の細部まで研究していた彼の手稿が残されており、この事から彼の完璧すぎる程の追求芯が伺える。

 

僕も絵を描く事や、画家になる方法について12年間追求してきたが、やはり才能を手にするには追求し続ける努力が必要である。

 

 

努力をしない人間の中に天才はいない。

 

僕はそう考えている。

 

 

絵を描く時は指を使っていた。

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レオナルド・ダ・ヴォンチの特徴的な絵の中には、指でこすったような後と指紋が残されている事が分かっている。

 

彼の描く人物の輪郭がない。

 

当時の画家の手法ではたいへん珍しく、輪郭を指でぼかしながら描くと言う手法は、彼の研究心からあみだした手法だと言われている。

 

僕も絵を描く時は色々な道具を使うが、指を使わなければ僕のタッチは描く事ができない。

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これはダ・ヴィンチの真似をしたのではなく、描き方を追求している内に自然と発見できた手法だ。

 

 

なので僕は彼と同じレベルの追求芯があるのかもしれない・・・

 

っと言う事にしておこう。

 

死ぬ直前にキリスト教に入っていた。

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彼の作品の半分以上は聖母マリア様を描いた作品である。

 

多くの人がレオナルド・ダ・ヴィンチはキリスト教だから聖母マリア様を描いたと思っている。

 

 

が・・・

 

 

実は彼はキリスト教徒ではない。

 

正確に言えばキリスト教徒ではなかった。

 

彼はフランソワー1世からフランスに招かれて邸宅も用意される待遇を受けており、フランスに移住する事になる。

 

移住してから3年間の生活を経て死を迎える。

 

 

その死ぬ直前にキリスト今日の洗礼を受け、その時に初めてキリスト教徒になったと言われている。

 

 

しかし、なぜキリスト教徒でもないのに聖母マリアを描き続けたのか?

 

 

ダヴィンチは天才と言われているイメージが強いせいか、あまりこの話は有名ではないようだが、母への愛情は人一倍あったようだ。

 

彼の母は彼を産み落とした後に消息をたった。

 

何故消息を経ったのかは諸説が色々ありすぎて正確に分かっていないのだが、去っていった母に思いを寄せていたため、自分の母親を聖母マリア様にだぶらせて絵を描いていたようだ。

 

ちなみに彼が40歳を過ぎた頃に母親と再開し、その後死ぬまで面倒を見たと言われている。

 

ミラノの旅はもう終わり。

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今回はレオナルド・ダ・ヴィンチについて書いてきたが、イタリアで彼の展示会を見て僕も興味がでてきたので調べてみた。

 

 

僕は世界をまわりながら絵を描く仕事をしているが、元々他の画家にはあまり興味がなかった。

 

オーストラリアで1年絵の修行をしていた時に様々な事を学ぶなかで、他の画家の絵の手法を勉強しようとして、ピカソの展示会に足を運んでから、絵画の観察は画家にとって重要な参考資料となると知り、それから世界中の展示会や博物館などで絵の勉強をするようになった。

 

彼の天才的な発明を見るとインスピレーションがとまらない。

 

もしも今絵の上達に悩んでいるのなら、沢山の人の絵を見て、自分にない所だけを盗んで自分のスキルに変える事で絵の上達をする事ができる。

 

もしもそれでも絵に悩んでいるのなら、オンライン絵画教室を開講しているので、僕のメールマガジンからその情報を受け取って欲しい。

 

ちなみに僕は画家になる方法も、このZiNARTメールマガジンで発信している。

 

興味があれば是非。

 

そろそろミラノをでようか考えている。

 

次はローマに行ってからベルギーで友人とビールでも飲もうと計画中。