マンガが日本が誇る娯楽の一つ。
僕も今の生活を手にしてから、マンガを読める時間が以前と比べ圧倒的に増えていった。
イタリアのミラノの街を歩いていると、こんなものを発見した。
『ミラノマンガフェスティバル』
日本のマンガの歴史をここミラノで観覧できる展示会のようだ。
中はキャプテン翼のボードの前でしか写真を撮る事ができなかったのでこの一枚だけ。
江戸時代に描かれたマンガなどがあり、意味不明ではあったが楽しかっった。
日本の文化はイタリアに根付いており、展示会場の外には浴衣を来たイタリア人が七夕の短冊に願い事をしていた。
ついでに僕も短冊に願い事をしておく事に。
僕の願い事・・・
この時の僕の願いはただ一つ。
日本でも画家として生活できるようになる事だった。
海外で画家として生きていく方法はすでに発見したが
この時はまだ日本で安定的に絵を利用して収入を得る方法を発見する事が出来ずにいた。
なので日本に住みながら画家になる!
今よりももっと大きな事をして生涯画家として自由に生きたい!
そんな願いを込めて短冊を飾った。
BIGになって画家として生活する!
結果的にこの時の願いは叶う事となった。
短冊を飾って他の人の願いも見ていると、日本語を読めるイタリア人男性が
「ビッグニナリタイ!ハハー!」と片言の日本語で笑いながら僕の短冊を見ていた。
「これ君が書いたの?」と話しかけてきてくれたので、しばらく立ち話をしていた。
彼は日本が大好きなようで日本人を尊敬していると言う。
僕もイタリア人の優しさは日本人と同じ感じがするので心地よいと伝えると、彼は笑顔で僕にFacebookのIDを聞いてきて、日本に行くとき遊びに行こうよと誘ってくれた。
彼からは本当に日本人が好きなのが伝わってくる。
この後一緒にマクドナルドに行き、お互いの事について語り合う事となる。
マンガは描いていないが絵で生活している事を伝えると、僕の絵を見てみたいと言ってくれたのでiPadに入っている作品を見せる。
すると彼は驚いた表情で
「これ絵なの?これは凄い!」と言って興奮していた。
後に彼の友人から絵の依頼があり、原画は販売していないため、世界最先端のコピー技術で複製したメビウスを送る事になった。
このように旅に出ている間に出会った人達が、口コミで友人の友人などに広げてくれて、僕に絵を売って欲しいと言ってくれる事が頻繁に起きるようになっていた。
このような出会いがあるため旅は辞められない。
日本に戻っても、このように口コミで絵を売って欲しいと仕事がくるようになったが、それでは安定を手にする事ができない。
なので現在の僕の生活スタイルが誕生したのだ。
僕がどのようにして日本でも海外でも画家として生きていけるようになったのか?
その話は長くなってしまうので興味があれば
ZiNARTメールマガジンを読んでおいて欲しい。
彼と分かれた後沖縄で仲良くなったカミッラから連絡があり、仕事が終わったので、どこかディナーに行こうとお誘いがあった。
ミラノ大聖堂の前で合流して、カミッラお勧めのピザ屋さんに付いて行く事に。
本場イタリアのピザはどのようなレベルなのか?
釜でじっくり焼き上げたピザ。
外はカリッとしているが中は味が染み込んだ具材から旨味が溢れ出てくる。
ベーコンから出た油がトマトの汁と混ざり合い、最強の味のコンビネーションで僕の舌を魅了した。
モチモチでかなり美味しい。
やはりその国に友人がいれば、このような観光では行けない隠れが名店にも行く事ができる。
僕は友人は増やそうと思って生きてはいない。
しかし、旅をする事で関係性の濃い本当の友人が増えていく実感を得ている。
ちなみにこの隠れ家名店は忘れてしまった。
チンチン電車のようなものでカミッラに連れていってもらったので、ここが何処なのわからなかったのだ。
ワインとピザで気持ちよくなり大満足した僕は、カミッラにミラノを案内してもらう事にした。
辺りはすでに暗くなっており、ミラノ大聖堂に戻ると神々しく輝いていた。
このミラノ大聖堂の設計をする時ためにミラノの芸術家に募集をしたそうで、レオナルド・ダ・ビンチもその募集に応募したようだが、彼の案は通らなかったようだ。
あれほどの天才画家でも却下される事もあるのだ。
有名になる人は人にバカにされても否定されても自分の信じた道を突き進む事ができる人物。
日本で画家になる事はかなり難しいようだが、僕は自分の道を信じて突き進んできたので
日本でも海外でもどこにいても絵を描いてのんびり生活できる状況をつくりあげた。
頑張って努力して上手くいかない事があっても活動し続ければ誰かが見てくれるようになる。
しかし間違えた効率の悪いプランで画家を目指している人に言いたい。
画家として生活できるようになるまでに何年かけるつもりなのか?
できれば若い内に安定的な絵の収入を得る方がさらに楽しい人生を歩めるのでは?
僕は今そのような悩みを持つ人のサポートをしている。
約1年間継続して活動すれば絵で収入を得る方法を僕は知っている。
僕はこれからも少しでも日本に画家が増えるよう、その方法を伝えながら有意義な画家人生を歩んでいくだろう。
明日はレオナルド・ダ・ビンチの美術館で、また新たなインスピレーションを得る事にする。