柔らかい芝生の上に寝転がり、一眼レフのレンズを片目で覗き込みながら自衛隊が狙撃するような格好で、丘の上にそびえ立つ廃墟の城を被写体に捉えた。
波のように大きく起伏している草原が、まるで城を持ち上げているように見える。
僕はスロバキアの世界文化遺産であるスピシュス城をいかにカッコ良く写真に収める事ができるのか追求していた。
城の外壁の外に設置されているベンチから子供連れの親子が僕が写真を撮る姿を写真に撮っている事は気づいていたが、そんな事はお構いなく僕はスピシュ城に向かってシャッターを切り続けていた。
100枚以上撮影してベストな写真が撮れた事に満足した僕は、城に到着してから1時間経ってようやく城内部に入る事にした。
外壁一つとっても次に描く絵の参考になる。
「この壁の質感はボカシブラシで描いて、壁から生える草木はパーマネントグリーンライトとイエローオキサイドを混ぜて描いていこう」
頭の中のキャンパスに絵具をのせていく映像が自然と流れ始め、ブツブツつぶやきながら城内の岩でできた階段を登っていった。
13世紀の前半、つまり今から約800年前に建設されたその歴史の重さを感じずにはいられない。
絵具道具一式とパンパンに膨れ上がったパックパックを背負って世界を旅するのはかなり大変ではあるが、それ以上に得るものは大きい。
本当に絵を描きながら旅をしてきてよかった。
もしも、画家の仕事をしながら旅をしていなければ恐らくのたれ死んでいたのではないかと思う。
まだ画家として駆け出す前は、会社に努めていた時期もあったが、その時に自分が社会不適合者だとさとり、日本の会社で働く事ができない性格の持ち主だと知った。
その経験があったからこそ、こうして旅をしながら絵を描いていく自由な人生を手にいれる事ができたのだ。
今の日本では画家として生活する事は、難しいだと言われ続けている。
しかし、冒険心を持って活動していれば、どんなに不可能だと言われていた事でも達成してしまう事をこの世界の旅で知った。
特に僕が描く絵というのは自然や廃墟が多いのだが、スピシュ城は絵の参考資料になるものが大量にある。
廃墟ではあるが僕にとっては宝の山のように感じた。
ここでしか手にいれる事ができない芸術品
繊細な指さばきを駆使し、まるで魔法のようにその形を変えていく。
門をくぐってすぐの所で赤髪のお姉さんがロクロを回してコップを作っていた。
多くの観光客がここでしか手に入らないコップを購入していくのを見て、僕も購入しようかと一瞬考えたが、これからの旅で持ち運ぶのは面倒だし、コップがそれほど必要かと自問自答すると僕の中のジャッジマンが「別に必要ない」っという判断を下した。
スピシュ城内部の拷問部屋
場内に入ると中は奇麗に整備されており、沢山の歴史遺産が展示されていた。
ヨーロッパお決まりの大砲の玉は黒光りして、何だか美味しそうに見えてしまう。
お金として使われていた大昔のコインは、1つ1つ手作業で作られていたようで、それぞれ微妙に形やコイン表面にデザインされている人の顔が違う。
これなら自分で作れそうなので、大昔の人は無限にお金を生み出せるのではないかと勝手な考えを頭の片隅で思いながらもさらに城内の奥へと足を進めていった。
城のさらに奥には非人道的とも言えるような多くの拷問器具が展示されており、この道具を使って何をされていたのか想像するだけでも背筋が凍るものがある。
ここで何千、何万人の人が残虐な行為をされたのだろうか・・・
壁には拷問器具の使い方を説明している絵が展示されており、残虐ではあるが、この絵からは何かアートのようなものを感じる事ができた。
今この時代に生まれて本当によかった。
昔は日本でも拷問はあったようだが、ヨーローッパの拷問に比べるとやはりこちらの方が残虐性が高いように思える。
お腹を切り刻まれたり、赤々と熱せられた鉄を身体に押し付けられたり、ジワジワとなぶり殺しにされるならいっその事、一気に首を切ってくれた方がどれほど楽だろうか・・・
そんな事を思いながら城の上へと続く階段を登っていく。
城の屋上に出ると再び奇麗なレヴォチャの街を一望できる広場にでてきた。
青い空がやけにまぶしく、僕は自由に生きていると実感させてくれる程の衝撃がこの城にはあった。
スロバキアに来た目的はこのスピシュ城を見学する事だけだったので目的を達成してしまった僕は、次に訪れる国の事を考えていた。
「次はとりあえずハンガリーに行くか」
次の国に行く目的として何も考えていなかったが、その後の旅の流れを考えるとハンガリーが最もルート的に最適だった。
実は昨日の夜オーストリアの友人とドイツに住んでいる友人から連絡があった。
「ヨーロッパを旅しているなら遊びにきてよ」
そう言われた時点で僕はオーストリアからドイツを通る道順を考えていた。
そうなるとスロバキアからまずはハンガリーを通るルートが一番行きやすい。
スピシュ城も見学して得るものがあったので、次はのんびり何も考えずにハンガリーを目指す事にする。
遊ぼうと言われてすぐにその場所に迎える夢の生活を僕は手にいれてしまった。
絵を描いていなければこのような軽いフットワークもなかったであろう。
スピシュ城の窓がまるで額縁に見え、スロバキアの広大な景色が1つの絵画のように見える。
それを眺めながら自分の生きている自由な絵描き人生を誇らしく感じるのであった。