「絵心がないと絵の上達もできない画家になる事もできない」
このような思い違いをしている人は世の中には数多くいるではないだろうか?
では絵心とは何か?
勘違いされやすいのが絵心のある人は描く物をそのまま忠実に描くが、世間で言われている絵心がないと言われる人は記憶の片隅にある記憶と自分の個性を融合させたものを自然とだしているだけなのだ。
絵心のある、ないは他人の評価によって変わる
像を描いてと言われて自分以外の人がその絵を見て像だと認識できるなら、その人は絵心があると言う事になるが、これは決して上手い下手の問題ではなく、独創的な像を描く人もいれば、実写のような像を描く人もいる。
その個性的な像を見る人が想像している像と違えば、その人の中では絵心がないとなるが、その独特なタッチの像が好きな人からみれば絵心があると言う事になるのである。
ピカソはわざと絵を崩している
あの有名な画家ピカソも写実的な絵は得意としており、8歳の頃に描いたリンゴの絵を画家であった父親に見せると父親は絵を描くのをやめるほどまで写実が上手かったと言われている。
それほどの写実技術を持ちながら、あえて絵を崩してから独創性あふれる絵を描いているのは有名な話である事から
「像を写実的に描ける=絵心がある」という事にはならず、逆に
「個性的な像を描く=絵心がない」ということにもならない。
この事から絵心がなくても画家にはなれると言う事になる。
そして僕が思うに、絵心があると言うのは楽しんで描けるかどうかが問題であり絵の上手い、下手、似ている、似ていない、は問題ではない。
もちろん絵心があると言われている人で誰でも描けるような何の独創性のない、どこかで見た事のあるような絵を描く人は画家としては生きてはいけない。
絵心がないと言う人は画家に向いているかもしれない
絵を買う人の特徴としては
「この世でこの人しか描けない絵」というように人を魅了したり
「この人の絵を自分の部屋に飾ったらカッコイイ空間になる」など
自分のライフスタイルに合わせて買う人が多いが、どちらも独創性のある絵を選んでいるのがわかる。
「絵心のない人」と自分では思っている人の方が実は画家に向いているのではないだろうか?
絵を描き始めて8年以上経った今ではそう思うようになってきている。
なぜなら絵心があると言われる人は
「誰かの絵を真似るのが上手い」
「似顔絵が似ていて上手い」という事が多いが
絵心がないと言われる人が本気で芸術というものを学んだ時、形に縛られない独創性あふれる絵を描き始めると僕は思っている。
しかし「独創的でなおかつ上手い」と言われるのなら、これは画家としての最高の武器を手に入れた人だけの特権なのではないだろうか?
まとめ
以上が僕が今まで旅の中で絵を描き、世界各国の様々なアーティストと出会う中で感じた「絵心」というものを深く考えた答えだ。
絵心がない、という事は常識を覆す可能性を持った人達なのだと僕は思う。