働きたくないが夢を追うため就職した18歳の時の話

まだ僕が絵を本気で描き始めた頃から4年も前の話。

 

絵の大学へ行きかったが親に反対され就職して学費を稼ごうと思い工場で働いていた。

 

その選択が夢を追う僕の人生最悪のスタートラインになる

とも知らずに・・・

 

高校を卒業した18歳の僕は大阪の港にある工場で働く事になるのだが、結果2年で仕事を辞める事になった。

 

 

仕事場の主任からひどいパワハラをうけていたのだ。

 

 

今思えばよくあの環境で2年も持ちこたえたなと関心するほどだった。

 

他の社員のおじさんは優しく面倒見のいい人ばかりだった。

 

 

しかしその一人の主任だけはどうしても我慢できなかった。

 

 

本来なら10年かけて、やっと扱える精密機械をまだ未経験のなんの技術も持たない新人の僕に任される事になった。

 

 

始めはそんな機会を任されたので責任重大と感じ、かなり勉強しながら感覚で覚えていく事にした。

 

 

もちろん主任は僕の事などほったらかしである。

 

 

ミスがあれば怒られるのは当然だが教えてくれる人がいないのでミスをするのは当たり前であった。

 

主任は僕がミスをする時だけ大声でどなりちらし、威圧的な態度で僕を脅すような事も言った。

 

 

しかし、それから1年後僕も仕事になれてきたのかミスをあまりしなくなり製品も順調に仕上げる事ができるようになった。

 

しかし主任はそれが気にいらなかったのか自分のミスをわざと僕に押し付け、僕がミスをしたかのように偽造し社長に報告していた。

 

したくもない仕事を毎日こなしながら学費をためようとしても給料は驚くほど低く、その上ミスを押し付けられ、ミスをした主任は事務所でコーヒーを飲みながら知らん顔だ。

 

入社して当初は主任の言う事は絶対と思っていたが、1年を過ぎる頃には言い返すようになっていた。

 

 

それが気にくわなかったのか僕のつくった完璧な製品をゴミ箱に捨て、なくなったからもう一度つくれと言ってきたり社長に僕の管理能力のなさをアピールしにいくなど様々な攻撃を受けた。

 

したくもない仕事と学費を貯める事のできない環境、そして主任から受ける毎日のストレスで僕の額はデコボコに腫れ上がるようになっていた。

 

思い描いていた未来の自分とは真逆の無様な現在の状況に僕の心は病んできてしまい、少しずつ会社を休み、家から一歩もでず約1年間友達とも会わないようになっていた。

 

今思えば辞めればいいのにと思うが、まだ若かった18、19歳の青年にとっては就職してお金を稼ぐという考えしか浮かばなかったのだ。

 

 

想像していた自分の姿とは180度違いその情けなさに絶望を感じていた。

 

 

そんな状況だった僕も30代に入り世界を旅しながら絵を描いて収入を得るまでに成長した。

 

やはり何か大きな夢を追いかけると言う事は、それなりに大きな壁が何度もやってくるものだと僕の人生経験から実感している。

 

そして、その壁を乗り越える精神力がある人だけが夢を追う事を許されるのだと思う。

 

世界の旅で出会ったアーティスト達はまさに精神力の固まりのような人達がおおかった。

 

精神力とは考え方を変える事で鍛える事ができる事も旅をしていく中で知る事になる。

 

今もし、そういった状況で仕事に悩んでいるのなら環境を変え、考え方をもう一度考え治す事をお勧めする。

 

人生の壁には絶対に乗り越える事ができる道というものが存在するのだ。

 

問題はその事に気づくか気づけないかなのだ。