まさか僕の相棒があんな事になるとは・・・
僕は相棒と一緒にオーストラリアの旅を楽しんでいた。
夜空には雲一つない満天の星空が見える。
草原と森に囲まれた山の中に
一つだけポツンと家が建っている。
そこが僕が過ごしている場所。
ここはオーストラリアでは
有名な農場地帯「スタンソープ」
ワーホリVISAでオーストラリアに行った人なら
知っている人の方が多いのではないだろうか?
画家になるために来たこの旅で
まさか地獄の3ヶ月を過ごすとは・・・
地獄というのは色々あったのだが、
そのかわり一生友達となる人との出会いもあった。
僕の一生の友人達
彼は香港人のケニー
農場で働くにはシェアハウスに泊まらなければ
ならないのだが、このシェアハウスに来る前に何件か
たらい回しに移動させられる事があった。
その期間ずっと一緒に移動してきた友人だ。
そしてその相棒のディラン。
彼はケニーと一緒に香港から働きにきた
ケニーの親友だ。
料理が得意でたまに晩御飯をつくってくれるいい奴だ。
そしてよくその輪によくいた香港人のパシュ。
中央のメガネをかけている彼がそうだ。
天空の白ラピュタのパスが好きだと言う事で
自分の英名をパスと言っている。
しかし、どうしても僕からすれば
「パシュ」としか聞こえない。
なので彼のあだ名はパシュなのだ。
日本語はダメだが
彼の英語は堪能で非常に勉強になった。
人に決められた生活時間
毎日太陽が見える前に起床して
夕焼けが見える頃に帰宅して
晩御飯を食べて寝るだけ。
疲れきった体で絵を描く気力がでてこない。
「やはり僕は会社や組織に属しながら
絵を描くという生活はできない・・・
絶対に絵で生きていく!!」
そう強く再確認した瞬間であった。
とは言ってもセカンドVISAを
手にいれるまでは我慢して働くしかなかった。
セカンドVISAがあればあと1年間
オーストラリアの南国のビーチで
のんびりしながら絵を描く生活に戻れる。
お金が欲しければバイロンベイで絵を描けば
一日過ごすのに十分過ぎる程の収入が入る。
好きな時間に起きて朝から海に飛び込んで目を覚ます。
そんな生活を常に想像しながら過ごしていた。
今は農場で働いているため
朝起きる時間も働く時間も
休憩時間も全く自分で決める事ができない。
晩御飯もシェア飯をする日が
多いので時間を決められないし
シャワーも順番待ち。
唯一自由に時間をコントロールできる時間が夜中。
夜ふかしすれば次の朝起きるのが
辛い罰はあるが、それでも自分の時間を
睡眠時間を削って作っていた。
決められた時間をあまり過ごして
こなかったのが原因なのか?
僕にはこの生活が耐えれそうになかった。
人間一度楽しい生活方法を知ってしまえば
その生活方法よりランクが下がる生き方が
いやになってきてしまう。
しかし、そんな生活でも楽しませてくれたのが
香港人の彼らだった。
相棒がバラバラになってこの世から消え失せた日
いつも仕事が終われば僕の愛車で
少し離れたスーパーに行く事にしている。
山の中なので20分ほど森に囲まれた
ハイウェイを走らなければ
スーパーにつかない。
農場は土曜日が休みでこの日に
ディランとパシュとケニーで
スーパーに行って食材をまとめ買いする事にした。
しかし、僕はこの時少し不安な気持ちでいた。
最近ボンネットの中から白い煙が上がったからだ。
僕の愛車は以前も調子が悪くなったり、
山の中で壊れてしまったりして修理代に
総額40万ほどかかってしまい、
かなり面倒な事になってしまった。
この状態で男4人と大量の荷物をのせていいのか?
不安を持ったまま皆僕の愛車に乗り込み
「よし!いくぞ!」っというような顔をしている。
これはもう行くしかない。
数分後無事にスーパーに到着した。
そして1週間分の食料を買い
車に詰め込んで来た道を引き返す。
スピードは60キロほど出ていただろう。
大きなカーブが頻繁にある山道を
ゆっくり走っていた。
ハンドルを握る手に何か違和感を感じた。
「重い・・・?」
何だかハンドルが切りにくく
なってきている気がする・・・
今は大きなカーブを曲がっている最中なので
ハンドルをもとに戻す事もできない。
「おかしい!!何かおかしい!!」
そう叫ぶと同時にフロントのメーターなどの明かりが消えて
ハンドルが一切動かなくなってしまった。
瞬時に「ヤバイ!」と感じ、
なぜか鍵を抜いた。
するとハンドルが急に軽くなり、
ハンドルを切って車の勢いだけで進んでいる。
少しずつブレーキを踏み、
運よくガソリンスタンドがあったので
駐車スペースに向かうとちょうどそこで
車の勢いがなくなって止まった。
僕の愛車に何が起きたのか・・・
バイロンベイで過ごした数ヶ月間
僕はこの車に寝泊りして晩御飯もここで
調理してずっと一緒にいた僕の相棒・・・
もう限界か・・・
そんな事を思うと悲しくなってくる・・・
パシュはニヤニヤしている。
ディランは電話で助けを呼んでくれている。
ケニーはどこかに消えてしまった。
この日はそこに放置して後日
修理屋さんを呼ぶと「ダメダコリャ」
というような顔で顔を横に振る。
この後バラバラに分解され
使えるパーツを売る事にした。
相棒の中身をパーツ分けして売っても5000円程度だった。
車はブラジル人の友人から5万で購入した。
修理代総額40万程度・・・
高い買い物であった・・・
さらば相棒・・・
彼は僕の楽しい思い出の一つに刻まれた。
しかし、それは悪い事ではない。
今こうしてこの記事を読んでいるあなたに伝え、
それが僕の絵の仕事に繋がっているのだから。
そう思うと40万程度なんて安いものだ。
僕は「思い出」というもっと
大きな人生の財産を手にいれたのだから。