オーストラリアの旅では様々な国の友人をつくる事ができた。
得にずっと一緒に行動していた香港人のディランとケニーは、これからも一生付き合いがある親友だ。
彼らといつも行動を共にし、農場で働き初めてから何度もシェアハウスを一緒に移動させられた。
一番最後に移動させられたシェアハウスは本当に最悪だった。
そのシェアハウスは山の中にあるのだが、夜の山はかなり冷える。
しかし、シャワーは水しかでない。
そしてトイレの鍵も壊れて閉める事ができない。
そしてウンコをするとたまに流れなくなる。
そんな家に合計18人くらいで泊まっていた。
後で知った事だがこれは違法らしい。
そしてなぜか仕事終わりにビールを飲んではいけないとシェアハウスの韓国人のオーナーから言われた。
意味がわからない・・・
こんな生活をしていてストレスも溜まっているのにビールすら自由に飲ませないのか?
このような縛られた生活にかなりうんざりしていた。
我慢し続けた結果、ストレスで僕の肌はまるで上級者のスキーコースのようにボコボコに晴れ上がってしまったのだ。
さらに、ある一つの事件が僕を日本への緊急帰国を決断させてしまう。
その事件とは・・・
ストーカー事件。
ここで詳しく話してしまえば、その人からまた攻撃されるかもしれないので話す事はできないが、毎日付きまとわれてしまった。
気持ちが悪かったので少しずつ距離感をあけていたが、それが彼女の逆鱗にふれてしまい、Facebookで繋がっている僕の友人達を攻撃されてしまった。
さらに僕の実家の場所も知っていたし、日本に戻って沖縄に行こうと思ったのだが、その日付もなぜかバレてしまっていた。
シェアハウスのプライベートのないストレス生活に加え、ストーカーに付きまとわれる恐怖。
僕が農場で働いていた目的は、セカンドVSIAを手にいれてもう1年オーストラリアの旅を楽しみながら
絵を描いてお金を稼ごうと思っていたのだが・・・
このストーカーのせいで、もうこれ以上オーストラリアには滞在したくなくなってしまった。
そんなわけでセカンドVSIAを手にいれる意味がなくなってしまった。
そしてディランも香港へ帰ると言う。
その事を知った僕はすぐに緊急で日本への帰国のチケットを購入し、ストーカーから逃げるように日本へと帰る準備を始めたのだった。
最後の夜に中の良いメンバーで写真を撮って今までの旅の事を語りあっていた。
これで皆バラバラになってしまうが、このメンバーとは一生の付き合いができそうだ。
翌朝、バスでゴールドコーストまで向い、すぐに宿を見つけてゴールドコーストの街を探検する事に。
2ヶ月半の地獄の農場生活からやっと抜け出せた・・・
イチゴ丼も一生食べる事はないだろう。
その解放感からか、僕は今まで我慢していたビールをたらふく飲んで、その日はベロベロのままゴールドコーストのビーチで寝てしまう。
朝起きると目の前に太陽が登り始めていた。
時間にも場所にもお金にも縛られない、まさに自由きままな生き方。
まさにこれが僕の生き方だ!
やはり僕は自分の思うがままに生きる事ができなければ、どんなに給料の良い仕事をしていても生きている心地がしない。
そんな事を強く再確認する朝だった。
約1年間のオーストラリアの旅が今日で終わる。
オーストラリアでは、画家になる方法や絵が上達する方法、絵を描いて収入を得る方法、英語、外国人とのコミュニケーション、などなど・・・
ここでは話きる事ができない程様々な事を学び、外国人の友人も数え切れないほどつくる事ができた。
1年前の僕には考えられなかった事だ。
人は1年目的をもちながら海外を1人旅すれば、必ずそれに見合った出会いがある事がわかった。
これは偶然出会うのではない。
目的を持って本気で活動すれば、その目的に応じた出会いというものが必ず訪れるのだ。