聖なる水で体を清め、地面に片足をつき、目をつぶりながら何かを祈った後にその教会の中に入っていく多くの人々。
僕はザルツブルク大聖堂を見上げながらため息をついた。
ここは8世紀に建造された大聖堂であり、あの世界的に有名なモーツァルトもこの場所でオルガン奏者として勤めていた場所でもある。
僕は過去の偉人が訪れた場所や歴史的な建造物や作品を見ると強烈なインスピレーションを受け、それを自分自身の作品に生かそうとする。
しかし、今回ばかりはそんな歴史的な建設物を目の前にしても何も思い浮かばなかった。
実は昨日の雨風を浴びながらの野宿のせいで体調を酷く崩してしまったのだ。
今日の朝方には雨も止み、ようやくホテルを探しに街に出かけたのだが、どこのホテルもチェックインは夕方の5時からだという。
夕方まで時間を潰さなくてはいけないのでフロントに荷物を預け、ザルツブルクの街を観光してチェックインの時間を待つ事にした。
街は観光客の活気で賑わっており、至る所で大道芸人を中心とした人の輪が作られていた。
人々の歓声や拍手が僕の頭の中を殴るように響き渡り、いつもなら僕もそこに混じってパフォーマンスにたいしての少しのチップを渡すのだが、今回ばかりはそんな気にはなれない。
体の節々も痛み、少し熱もあるようだった。
普通、動くのもつらいのならそのままホテルのロビーでゆっくりしとけばいいのにと思うだろう。
しかし、僕は1日たりとも海外での無駄な時間を過ごしたくはないと考えていた。
人は1日で多くの事を学ぶ事ができる。
1日1回頭の中に知識やインスピレーションを叩き込めば、365日後には365個の知識やインスピレーションがたまっていく。
僕はその1日の学びすらも無駄には出来ないと考えていたのである。
それに一度でも「また明日すればいい」と考えてしまうと僕の性格上、その次もまたその次もサボってしまう可能性があり、自分自身でもそれが嫌で仕方なかった。
なので1日一つは必ず画家活動の役に立つ知識や情報、インスピレーションを頭の中に叩き込まなければ気が済まなかったのだ。
後から思えばこの考え方は間違っていたのかもしれない。
どんなにいいものを得ようと、健康な体がなければ意味がないのだから。
そんな間違えた考え方を持ちながらザルツブルク大聖堂にたどり着いた。
僕も見よう見まねで聖水で体を清め、片膝をついてから頭の中で「おじゃまします」と念じ、大聖堂の中へと入っていく。
大聖堂の中入るとすでに多くの人で座席は埋め尽くされており、丸天井から降り注ぐ柔らかい光が白大理石で出来た内装に美しく反射しながら輝いているようにも見える。
6000本のバイブオルガンの音色と共に皆、声を揃えて歌いだした。
何だか妙に心が落ち着く。
壁にフレスコ画で描かれた歴史的にも貴重な絵画も拝見する事ができた僕は、満足してそのままホテルに戻って眠る事にした。
やはり体調に気を使いながら旅をしないと得るものの量も少なくなってしまう。
僕は明日に備えてこの日は早々と眠る事にしたのだった。
PS.
この日のザルツブルクの旅では、十分な観光はできなかった。
しかし、街中至る所にアートが建設されていたのでアートを楽しむだけなら街を歩くだけで十分堪能する事ができる。
あと夜には街の中心地で映画も見れるのだが、ドイツ語だったので意味不明であった。
ザルツブルクはお金持ちが集まる街でもあり物価も高いので、もしも次にここを訪れる時は十分な資金を持ってきた方が良いと感じた。
次は十分な資金を持ってゆっくり過ごしにこの街を訪れたいと思う。