WEBサイトを完成させグラフィックデザインを勉強してから、ある程度スキルも身につける事ができた24歳の春にWEB会社を辞めて独立する事にした。
この「世界画家旅人」のサイト内でも何度も話しているが、画家になる方法は人それぞれで様々な方法があるので、グラフィックデザイナーにならなければならないと言う訳ではない。
ただ僕の場合、この頃は画家になる方法を知らなかったので、我武者らに活動した結果グラフィックデザイナーから画家へ転職という形になっただけである。
この頃になるとグラフィックデザインの楽しさに気付き、小学生の頃から見る夢の世界をグラフィックで表現できる程にまで成長していた。
それから、これをどうやって絵の仕事に繋げていけるのかを考えていた。
とりあえずサイトに集客する事も考えたが当時そんな知識も持っていなかったのでBARやクラブに通い、片っ端から営業をかけていくと意外に話を聞いてくれる人が多く、お客さんも仕事も少しづつ増えて行くが収入の面では満足はできなかった。
それにグラフィックの勉強を独学でするというのも限界があり、勉強すれば誰でもつくれるレベルまでしか到達できなかったし、グラフィックデザインでは細かい箇所の表現方法がわからず、やはり絵の方が自由に表現できる幅が広いと感じた。
なにより僕は画家になりたかったのだ。
ある程度お客さんがついた時点で、サイトデザインをグラフィックから絵の方に変更してから継続してお客さんに宣伝する事にした。
すると絵の方が反響が大きくなり絵の依頼やiPhoneケースを制作して売る事が多くなっていった。
そうして絵とiPhoneカバーとWEB会社で小額ではあるが、お金を貯める事ができたので僕の人生計画の中の一つでもある「海外へ行って絵の修行をする」を決行する事にした。
すぐにワーキングホリデーVISAを取得し行き先は
「オーストラリアの上の方」という事だけを決めて航空チケットを購入した。
旅の準備も整い、これからどんな冒険が待っているのかと小学生の夏休み前のような気持ちでその時を待っていた。
しかし・・・
僕の人生はそんなに上手くはいかなかった。
むしろ挫折や辛い事の方が多かった気がする。
出発1週間前になり突然の不幸が訪れた。
弟がバイク事故で死んでしまったのだ。
僕も両親もショックで動く気力も失ってしまった。
僕は元々4人兄弟だったのだが僕が生まれる前に兄が死んでしまったらしく、そして今回バイク事故で弟が死んでしまったので僕の両親は僕以上にショックが大きかっただろう。
そんな両親を残して一人オーストラリアへ行く事なんて僕にはできなかった。
オーストラリアの修行の旅は延期する事にした。
しかしこの後、この弟の死が自分の人生と考え方に大きな影響を与える事となる。
最終章:僕の生きてきた道筋
オーストラリアへ絵の修行の旅をする事にした