もうすでに風化しつつある最悪の大震災3.11。
この年に僕の弟も天国に旅だってしまったので、僕の中ではいつまで風化する事のない、心に残ってしまっている震災である。
震災から数ヶ月後・・・
僕は海外に絵の修行の旅に出て毎日路上で絵を描い収入を得ていた。
ケアンズのパロネラパークと言う文化遺産を管理しているオーナーから絵の依頼を頂き、その絵をバイロンベイの路上で、音楽をながしながらライブペイントをしているだけで収入が入ってきている。
まだまだ絵のスキルも上達する前にも関わらず、毎日3〜4時間ほど描いて大体平均して3000円〜6000円を稼いでいる。
これほどの短時間でこれだけ稼げてしまうなら
もう日本で会社に就職する必要はない。
僕はこの時から海外に出稼ぎに行けば、絵を描きながら旅が出来ると有頂天になっていたし、これから先の未来に一点の曇も見る事はなかった。
具体的なその方法はこの記事に掲載しているので読んでおいて欲しい。
海外で絵の上達をしながら収入を得る方法
イベントポスターの依頼を得た日
そんな僕の噂を聞きつけた1人の男性が僕に絵の依頼をしたいとコンタクトをとってきた。
彼の名はハーシャ。
インド人であるが、すでにオーストラリアの永住権を獲得しており、仕事もしていない毎日Facebookで世界の悲惨な情報を流している60過ぎのおじさんである。
何の依頼かと言うと3月11日に全世界で同時に行われると言うイベント
『ニュークリアフリーワールド』のポスターイベント制作の依頼であった。
ニュークリア。
つまり原発反対運動の大きなイベントであり、世界各国からミュージシャンが集まって原発を地球から排除しようと言う内容のイベントである。
そのイベントがここバイロンベイでも行われる事になり、僕はそのポスター制作を頼まれたのだ。
ハーシャが住むシェアハウスにお邪魔し、どのようなデザインにするのか打ち合わせをする事になった。
原発事故で一番の被害者は?
当初のデザインはこのこのようなものを考案していた。
しかし、ハーシャの考えでは
原発の一番の被害者はこれから生まれてくる子供達だと言う。
僕は人間は描かないと決めていたのだが、このハーシャの熱い思いに動かされ
赤ちゃんにガスマスクを被らせた、ショッキングなデザインにする事にした。
僕は基本的に絵を描く時は下書きをしない。
絵の依頼があった時だけ、ミスのないよう一応下書きでクライアントさんにそのデザインの確認をしてもらうために下書きをする。
このデザインを気に言ってくれたので、そのまま絵具をのせていくとこうなる。
約1時間で完成した。
一番の被害者は赤ちゃんと言うイメージ。
まさにそれにぴったりの仕上がりになり、このままポスター制作をする事に。
絵の収入もアップした日
一応これで仕事の内容は解決し、数日後ハーシャから「すぐ家にきてくれ」と連絡が入り急いでシェアハウスに向かう。
玄関を開けるとハーシャが嬉しそうな顔で僕に新聞を手渡してきた。
新聞に乗っている・・・
こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いたし、僕の名前も旅をしながら絵を描いている事も掲載されていた。
この新聞の影響からか、次の日から路上でライブペイントをしている時に「新聞にのってた絵を描いている人でしょ?」「あの赤ちゃんのフライヤーが欲しい」と言ってくれる人が数多く話しかけてくれる。
まるで有名人になった気分になり、絵の収入もここから飛躍的に上がる事となる。
イベント当日、世界各国からミュージシャンが集まり、世界平和と原発撲滅を願いながら盛大に開催される事となった。
原発は人間のエゴから生まれた悪魔の物質である。
ここで少しまめ知識。
原発は誰が作ったの?
原発はアインシュタインが作りだしたと誤解されているが、原発の生みの親はオッペンハイマーと言う人物である。
元々は人の生活がより豊かになるように開発されたエネルギー資源であったが、それを利用してアメリカは核兵器をつくり、日本に原子爆弾を投下した。
この時の日本は世界各国から敬遠され
日本国内ではニュースは規制され日本に住んでいる人にはあまり情報は流れていなかった。
実際僕もFacebookなどでこの事について話をしたが、次の日にコメントをチェックしようとすると、その投稿自体が削除される事も。
海外では毎日原発事故のニュースが報道されていた。
情報は国に簡単にコントロールされ、また国民も情報に洗脳されてしまう。
僕はこの事実を知った時から日本に不信感を抱き始めた。
原発がどこまで拡散されているのか、日本に住んでいては情報規制により、詳しい内容を知る事が難しかったからだ。
しかし僕は日本が大好きだ。
南に行けば南国の沖縄があり、北にいけば雪国が広がっている。
そして日本人の優しさや気遣いの細かさは世界の中でもトップクラスである。
当時は原発の影響もあり、海外で一生旅をしながらどこか違う国に永住する事も考えていた。
それに日本では絵に対する価値観の違いからか、画家になる事が難しいとされていたからだ。
しかし、現在の考えでは僕は海外に移住する気はない。
この数年後、海外でライブペイントをしなくても
日本でもどこの国にいても絵を描いて十分な収入を得る方法を発見する事になるが、それはまだまだ先のお話。
今は自由気ままに好きな時間に好きな場所で絵を描いて自由に生きている。
そして、日本でも僕と同じように絵を描いて、生きていく事のできる人が増えるように僕は今とあるプロジェクトを考案している。
本気で絵を描いて生きていきたいと考えているのならZiNARTメールマガジンを読んで欲しいと思う。