仕事は自分で構築するもの!絵を描く事ができればそれで十分!

「いつかここへ嫁と子供をつれて行きたい」

 

絵を描く仕事を自分で構築するために旅に出た僕はそんな事を考えていた。

 

そのような将来の夢を独身の僕に思わせてくれた平和な町バイロンベイ。

 

今日もやわらかい日差しで僕を照らしてくれる太陽の下で海を眺めながら絵を描いていた。

byron-kokonatu

海外に出ると本当に多くの出会いがある。

 

今日は朝から3時間ほどのんびり自分のペースで絵を描いていたのだが、その間に5人の人に話しかけられた。

 

前回の記事でも話した通り、絵を描いている時に話しかけられるであろう内容を英語でノートにメモし、その返答もノートに何パターンも書いて丸暗記していたので、以前よりスムーズに会話ができるようになっていた。

 

 

これが成長と言うやつである。

 

 

 

オーストラリアに来た時は全く英語を話す事もできず、旅の初日は自分の力だけでは宿に泊まる事すらできなかった。

 

 

まだ完璧に全てを理解できるわけではないが、旅の当初よりは確実に英語脳になってきたのだと感じていた。

 

これをこのまま続けながら外国人とずっと一緒に過ごしていたら、その内英語で相談にのったり、深い話をできるようになると期待していた。

 

 

 

 

 

しかしその考えはまたもや、この後の生活で打ち砕かれる事となる。

 

 

 

 

 

その事を知らない僕は宿に戻り、昼ご飯を食べようとキッチンで調理をして、一階にあるハンモックの横にあるテーブルにスパゲティーとビールをおいた。

 

ケアンズのパロネラパークから頂いた依頼の絵を朝から海の前で描き、昼はのんびりハンモックに揺られながらビールを飲み、パソコンに入っている大量の映画データの中からフォレストガンプを選んで、ダラダラしながら映画を見ている。

 

ちなみにこれが僕の泊まっていたアーツファクトリーと言う宿の中庭。

 

こんな自然の中でダラダラ過ごして絵を描いて・・・

 

なんて幸せな暮らしなんだ。

 

日本でこんな事をすればただの社会不適合者と言われる。

 

 

 

 

しかし僕は絵を描く仕事を探しにきた。

 

そして朝から依頼された絵を描いていた。

 

疲れれば映画を見ながらビールを飲む事も普通になった。

 

 

 

絵の仕事の構築は自分でするもの

日本人の多くが就職をしないといけないと言う固定概念を植え付けられている。

 

 

 

なぜ就職するのか?

 

 

 

それは安定を求めていると言う理由からそのような考えになっているようだが

今の日本経済で安定なんてものはない。

 

 

 

いつか給料が激減するかもしれない。

 

いつ会社をリストラされるかわからない。

 

リーマンショックで突然会社が倒産するかもしれない。

 

 

 

それを会社だからと言う安易な考えで安定が望めると考えているようだ。

 

 

 

 

 

今では給料の値下げなんてどこの会社でも起こっている現実になっている。

 

給料が急に下がる事は安定ではない。

 

 

 

 

 

日本の画家や絵描きの多くは、そんな不安定な日本社会とともに共存し、日頃から会社やバイトで得たお金を元に活動を行っている。

 

 

絵を描けるなら、それだけで十分。

 

 

あとは僕のたどってきた道をそのまま通れれば絵で生活する事もできる。

 

これは海外に出なければならないと言う事ではない。

 

 

 

日本国内に住んでいても海外に住んでいてもする事は同じなので。

 

しかし自分で仕事を構築できると言う事に気付いていない画家や絵描きが多いようだ。

 

 

 

 

 

しかしそれも仕方の無い事。

 

 

 

 

 

世界を旅した後、一時帰国して様々な方法で僕は仕事の構築の仕方を追求し、ようやく

画家として生きる方法を発見した。

 

これは僕からだけしか発信されない方法なので

この世界画家旅人を読んでいない画家や絵描きはその情報を知る事ができない。

 

よって、今まで通り効率の悪い王道の道を進むしかない。

 

 

 

 

 

 

 

バイロンベイに来た若かりし頃の僕はその方法をまだ発見できていない。

 

日本でも海外でもどこに住んでいても絵で収入を得る方法を知らなかった。

 

 

 

 

なので、この時は僕なりに仕事を構築しようと必死だったのだが、ケアンズで簡単に絵の依頼を頂いた事に満足して毎日絵を描いてダラダラ過ごしていた。

 

それはそれで現在の僕をつくりあげたので良いと思うが、今思えばこれも安易な考えであった。

 

「絵の依頼があったからもう大丈夫!」

 

こんな事を考えていたので安心しきっていた。

 

「会社で働いているから安定している!」

 

と言う考えと同じレベルで物事を考えてしまっていたのだ。

 

 

 

いつかは依頼の絵も完成してしまう。

 

その後はどうすればいいのかあまり深くは考えてはいなかった。

 

僕は追いつめられた時に力を発揮するタイプである。

 

 

 

現在は日本でも海外でも収入を得る方法で生活している。

 

日本では画家になるのが難しいと言われている。

 

 

そんな嘘の情報を信じている絵描きの日本人は世の中には沢山いる。

 

 

 

ここでは話が長くなるのでメルマガで日本でも画家になる方法を発信している。

 

チャンスを見逃す人とチャンスを生かす人の違いはここで分かれる。

 

僕はチャンスを差し出しているだけ。

 

そのチャンスをつかむかどうかはあなた次第。

 

日本人との出会い

バイロンベイに滞在していた時は、まだ海外で収入を得る方法すら発見できていなかった。

 

しかし僕は運がいいのかこの後、偶然海外で収入を得る方法を発見してしまう。

 

その時の事は今後の記事で話していこう。

 

映画を見ながらハンモックに揺られていた僕はいつの間にか寝てしまい、太陽も沈み、辺りは暗くなっていた。

 

 

ボーッとする。

 

 

毎日のんびり過ごしているが、今日は特に頭が冴えずにいた。

 

 

そのままキッチンに向かい調理をしてからテーブルで一人、またもやビールを飲みながら明日は何をするのか考えていた。

 

っとは言ってもこの段階では公園で絵を描く事くらいしか思いついてはいなかったが・・・

 

 

 

そのまま一階のビリヤードや卓球台がある部屋で、ソファーに腰掛けながら当時使っていたアメブロで毎日の日記を書いていた。

 

 

するとゆっくりと近づいてくる男性がいた。

 

 

 

彼はジッと僕を見てこう言った。

 

「日本人ですよね?」

 

まわりには外国人しかいなかったので、突然目の前に日本人が現れて驚いたが、日頃から英語ばかり話して自分でも気付かないうちにストレスになっていたのか心の中でホッとする自分がいた。

 

 

彼の名はヨシ君。

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僕と同じ大阪出身で、しかも僕の実家から自転車で10分程度の所に住んでいると言う。

 

 

意気投合した僕たちはそのまま話し込んでいると、また他の男がこちらに近づいてきた。

 

 

「こんにちはー」

 

 

メガネをかけた背の高い青年だった。

 

ヨシ君ともすでに仲がいいようで彼とも話をしていたが、何か違和感が漂っている。

 

彼の名はコミ君。

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東京に住んでいて一人旅でオーストラリアに来たようだった。

 

そして彼も絵を描いていると言う。

 

 

先ほども言ったが何だか変な青年だ。

 

焦点があっていないと言うか何と言うか・・・

 

 

そんな彼の絵を見せて欲しいと言うと彼はパソコンをひらいて僕に絵を見せてくれた。

 

・・・

 

黒魔術?

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まさにクレイジーである。

 

 

しかしこの絵は独創的な彼にしか描けない作品だ。

 

これだけ描ければ後は僕の方法を真似すれば、この絵でも収入を得る事ができるだろう。

 

 

この絵を見る限り一般の人は絶対に売れないと言うかもしれないが、それが社会が生んだ固定概念に縛られていると言うやつである。

 

ビジネスのアイデアは無限大にある。

 

僕が日本に帰って絵で生きる方法を発見した時に、コミ君に絵で収入の得方を教えてあげようと思ったが、彼は今どこにもいない。

 

 

連絡がとれなくなってしまったのだ。

 

 

 

そんな彼と初対面の時はちょっと様子がおかしいと思ったので、あまり近づかないようにしていたが、この後、驚愕の彼の本当の能力が明らかになる。

 

 

彼は皆からマスターコミとも呼ばれている。

 

なぜなのか?

 

それはいずれこのオーストラリアの旅の記事で書く事にしよう。