独自のスタイルから生み出される絵画で人を魅了し、なおかつそれで収入を得られたなら最高の人生を送れると思わないだろうか?
僕は現在、画家として活動しているが、その夢の生活を手にいれるまでかなり時間がかかったがようやく形にする事ができた。
今まで本当に絵を描く仕事をするために活動してきて良かったと思っている。
その苦労のおかげで画家という
仕事の流れと言うものも理解できたので。
今では世界を旅しながら絵を描いて、のんびり自由気ままに生活している。
もちろん日本に滞在しながらでも収入は入ってくる。
その僕が歩んできた道は
ZiNARTメールマガジンで配信しているので
興味がある人は是非読んでみて欲しい。
旅の始まりの頃は自分では納得いくほどのスキルはまだ持っておらず、ましてや収入を得る方法なんてものも知るわけもなかった。
旅はオーストラリアのケアンズから始まり、そこで出会った人達と交流をかわし、日にちが経つにつれてどんどん絵で収入が入ってくるようになっていった。
オーストラリアの東部に位置するバイロンベイでは絵を描いて収入を得る方法を発見し、毎日それで貯金もできていたし、車も購入できるまでに成長していた。
しかし僕の人生の分岐点とも言える土地、バイロンベイから離れなければならない。
当時ワーキングホリデーVSIAを使って旅をしていたのだが、どうしてもセカンドVISAが欲しかったのだ。
セカンドVISAと言うのは普通1年間滞在できるVISAを最長2年間滞在できるようにするVISAの事を言う。
それを手に入れるには指定された農場で
最低3ヶ月間働かなければならない。
このため、僕の絵画を見てもらう事も人に認めてもらう事も収入を稼ぐ事もできなくなってしまう。
もちろん一時的にではあるが、画家活動を開始してから絵画と離れた時期がなかったので多少の不安は残る。
しかしオーストラリアに2年滞在する事ができればそれだけお金を貯める事ができ、なおかつ世界で僕からしか生まれない絵画を量産できると言う事になる。
後の事まで視野に入れると絶対に3ヶ月我慢して農場で働いた方が良い方向へ向うと感じていた。
が・・・
この農場生活では予定外の災難が起こり、その計画も水の泡と化してしまうのだが当時の僕はそんな事を知るよしもなく、住み慣れたバイロンベイを離れて農場の仕事を探す旅にでる事にした。
そして・・・
僕は車の修理工場にいる。
前回の記事でも話したがオーストラリアの山奥で突然、車が故障してしまったのだった。
普段から車に寝泊まりしていた僕は修理工場のお兄さんに頼み込んで一夜をそこで過ごさせてもらった。
車が故障してから約24時間後・・・
無事に修理も完了し、やっとこさ農場地帯であるスタンソープへと向う事ができた。
これから農場の仕事を探すため、絵画を描いて稼ぐ事ができない日々が続く・・・
僕は昔から会社や組織のようなものに入って働く事が苦痛で仕方なかった。
就職した時も毎日が苦痛で鬱病にもなってしまったほどである。
一般的にみればただの社会不適合者ではあるが、その性格のおかげで現在の僕の生活を手にする事となったのだ。
しかし、セカンドVISAがどうしても欲しい・・・
そんな強い思いが僕を突き動かした。
まずは友人に連絡してスタンソープで農場の仕事の情報を聞き出す事に。
すると・・・
ものの2分で農場の仕事が決定してしまった。
運よく友人の働いている農場で人手が欲しいとの事だったのでそこで働かせてもらう事になったのだ。
すぐに仕事が決まりすぎてやる事がなくなってしまったので、スタンソープを探検する事に。
少し山の中に入るだけでワラビーが大量にいる。
日本で言う猫のようなもので、道ばたにもたまに車に引かれたワラビーが転がっているのを目にする機会が多かった。
そして何と言う場所か忘れたが、この町の遺産のような場所があると聞いたので車で向う事にした。
これは大昔に落石があり、雨や風に少しずつ削られたためこのような形になったらしい。
気がつけば夕方になっており、夕日を見るために町の丘の上に行く事にした。
奇麗な夕日を見ながら僕は思った・・・
カップルが邪魔で見えない・・・
これから始まる農場生活の事を考えると憂鬱にはなるが、また新しい出会いが待っているかもしれない。
そう自分に言い聞かせるようにして3ヶ月の農場生活に気持ちを備えていた。
3ヶ月経てばまた僕からしか生まれない絵画を利用して収入を得る事ができる。
っとこの時は思っていたが、この後、ある事がきっかけで最悪の結末を迎える事となる。