世界が広がる!画家活動に必要なものとは?

人脈とは不思議なもので、人生において出会う人の数が多ければ多い程幸せになっていく。

 

そして画家活動に必要なものもそこに含まれている。

 

 

僕がまだ20歳の時・・・

 

その頃の僕は人生の道を断たれたかのような感覚でいた。

 

全てが上手くいかず、絵を描く仕事をしたいと思っていたが、僕の前には大きな壁が立ちはだかる。

 

 

 

 

就職先でパワハラあい、ストレスを抱えた毎日・・・

 

まるで上級者向けのスキー場のコースにあるコブのように、僕の額はデコボコに腫れ上がった。

 

毎日朝から晩まで働いていたが、専門学校の学費すら貯める事ができていなかった。

 

 

 

そんな中で友人が違う世界へ旅だってしまったのをきっかけに僕は沖縄へ逃亡した。

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学費を貯める事も、仕事も、何もかも上手くいかない人生に嫌気がさしていた時だった。

 

人と人は繋がって行く

沖縄放浪の旅は約2ヶ月にもおよび、最後に行った竹富島でカミッラと言うイタリア人女性と出会う事になる。

 

 

彼女は日本語を勉強するため東京に住んでおり、沖縄は世界でもトップレベルの海の美しさを持つ場所と知っていたようで、彼女も沖縄で日頃の疲れを癒しにやってきていたようだ。

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それから5年後・・・

 

 

僕は彼女とイタリアで再開した。

 

 

 

昨晩の

バルセロナで起こった航空券のトラブル

スリ集団事件

で、疲れきったままスペインのミラノに到着した。

 

 

宿も予約していなかったので、大きな荷物を持ったまま宿探しから始めなければいけなかったが、ミラノは大きな街なので以外と簡単に宿を確保する事ができた。

 

チェックインしてこの日は夕食も食べる事なく、そのまま夕方まで一度も起きずにベットに沈むように寝入ってしまい、目が覚めると疲れは嘘だったかのように体も回復している。

 

 

 

Facebookのメッセージを見るとカミッラから連絡が入っており、待ち合わせ場所を決めた。

 

カミッラとは5年ぶりに再開する事になるが、僕がこれまでどんな人生を歩んできたのかも、画家として世界を旅している事も知らない。

 

 

 

 

カミッラはあまり人と連絡をとらず、Facebookをやっている事を知ったのはスペインに滞在している時だった。

 

そんな彼女から急に友達申請が届き「ミラノに来るなら遊びにきて」と言ってくれたので僕はミラノに行く事にしたのだ。

 

 

 

待ち合わせ場所に到着して5分程度待っていると、カミッラがこっちに向かって歩いてくるのが見えた。

 

「久しぶり!」

 

僕が声をかけると綺麗に並んだ白い歯を覗かせながら、笑顔で返事を返してくれた。

 

「久しぶり!元気だった?」

 

5年ぶりに会ったカミッラは大人の女性になっていた。

 

僕がイタリアに来るという事で、カミッラがイタリア料理を自宅で作ってくれているという。

 

僕達はこれまでのお互いの人生を語り合いながらカミッラ宅へと向かった。

 

カミッラは14世紀に建てられた建物のマンションに住んでいる。

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日本では考えられない事だが、ヨーロッパでは築400年600年なんて事は普通だと言う。

 

人生は数年で激変する

これまでの5年間で何があったのかお互いに話していたが、カミッラが一番驚いていたのは、僕が英語を話せるようになっていた事だった。

 

沖縄で出会った頃は英語なんて話す事は一生不可能であろう、と思えるほど僕には英語力もなかったし、学校でも英語のテストがある日は、近くの大学の広場でハトに餌をやりながらテストが終わる時間までのんびり昼寝していた。

 

それほど英語が苦手だったである。

 

 

 

人はやる気になれば何てもできるようになる。

 

 

 

固定概念が邪魔をしてできないと思ってしまえば、スタートすらきれない事をこれまでの旅の中で学んできた。

 

 

 

 

そして僕は画家になると信じて行動した結果が現在の生活に結びついているのだ。

 

 

 

 

旅をしながら人と出会い、その人の輪が広がるにつれて絵の仕事も多くなっていく。

 

画家になるためには人との繋がりを絶やしてはいけない。

 

画家活動に有利な人脈

日本では画家になる事は難しいと言われているが、僕はそうは思わない。

 

ただ単に日本では画家になる人に対する体制が整っていないだけで、行動して人脈を作り続ければ、いずれ仕事も入ってくるようになる。

 

 

なので僕は旅をしながら画家活動をして人脈を世界に広げてきた。

 

そして現在ではパソコンとキャンパスさえあれば、どこの国でも画家として生きる事ができる方法まで発見してしまった。

 

 

僕は昔から会社に雇われる事なく画家として自由に生きたいと願い、それを現実にするため実行にうつしてきた。

 

 

その結果が今になって現れているだけなのである。

 

 

これは世界を旅しなくては日本で画家になれないと言う事ではない。

 

 

日本に住んでいても海外を旅していても、どこにいようがインターネットが繋がる環境さえあれば、どこでも絵で収入を得る事ができる。

 

 

 

 

イタリアに来た時はまだその方法を発見できていなかったので、ひらすらネット上で僕の活動を宣伝していた。

 

 

 

 

今になって思えば何てもったいない事をしていたのだろうと思う。

 

確立された正しい方法で活動していれば、画家活動をさらにスピーディーに、なおかつ途切れる事のない人脈も作りだす事ができるのに。

 

 

 

 

僕の歩んできた道を知ればその意味がわかる。

 

 

 

 

僕がどう歩んできたのかを知る事によって画家人生を激変させる事も可能になってくるので。

 

ちなみに僕の歩んできた画家への道はメルマガの方で公開しているので興味があればどうぞ。

 

 

 

 

海外で絵で収入を得るのは思っているより簡単だったが、日本で画家として収入を得るには知識と情報が必要である。

 

それに気付くか気付けないかで、その人達の差は大きく分かれてくるのだ。

 

 

 

カミッラとも出会えた事によってミラノの旅もよりいっそ楽しいものになる。

 

人脈は仕事に繋がるだけではなく、人生における貴重な経験としても心に刻まれるのだ。

 

それが人間を成長させて行く事は間違いない。